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カテゴリ:プラモデル・戦闘車輌
※III号突撃砲の「III」は、本来はローマ数字なのですが、楽天ブログだとローマ数字は環境文字なので入力出来ないようです。そのためアルファベットで書いています。
今回はIII号突撃砲について触れてみたいと思います。ブログで初めての戦闘車輛のプラモです。 突撃砲(自走砲)は、ドイツ軍が歩兵支援用の装甲兵器として開発した車輛です。 戦車部隊が、スピードを活かして戦線を突破してどんどん先に行ってしまうのに対して、突撃砲は常に歩兵の隣にあって火力で助けるのが任務のため、「歩兵の友」と呼ばれ親しまれていました。 さらに突撃砲のほとんどが、性能の型落ちした旧式戦車をマイナーチェンジして作るため(フィンランドが購入した突撃砲は、III号戦車からIII号突撃砲に改修されたもので、一部は戦場で損傷した後修復された車輛もありました)、既存の古い戦車をリサイクル出来るし、コストが安いので数も揃えられました(1輛戦車を作る費用と時間で、突撃砲は5輛位作ることが出来ます)。 突撃砲の敵は、最初は陣地や建物に立てこもった敵兵でしたが、第2時大戦中期以降は敵戦車との戦いが中心になったため、主砲も榴弾砲(砲身が短く、低初速、射程距離は短いですが軽量でコスト安)からカノン砲(砲身が長く高初速で射程距離が長く威力も大きい。当然コストは高い)に変更され、戦車と同等の攻撃力を持つようになっていきます(実際、ドイツ軍の中で最も多くの敵戦車を撃破したのは突撃砲でした)。 本来はコスト安のリサイクル・再利用兵器の突撃砲が、戦車並みに高価・強力になっていく過程は、ドイツが次第に劣勢に陥っていることを端的に表しているのですが・・・。 フィンランドが突撃砲を購入したのは1943年春で、7月から9月にかけて月10輛ずつ計30輛が到着しました。タンペレの工場で、フィンランド軍仕様の塗装とマーキング、細部の変更(いちばんの変更点は、車体上部の機関銃を、ドイツ製MG42機関銃からソ連製DT機関銃に変えたことです。性能はMG42の方が上でしたが、ソ連製のDT機関銃なら戦場に行けば、ソ連軍から捕獲して銃本体も部品、弾も簡単に手に入るというのが理由でした・苦笑)をして慣熟訓練がおこなわれていきます。 フィンランドが購入したG型は、長砲身75ミリ戦車砲を搭載しており、1.7km離れた先から、ソ連軍主力戦車T34/85の装甲と同等の90mmの鋼鉄板を撃ち抜く威力がありました(直角にあたった場合のデータです。実際にはT34は45度の傾斜装甲を持っていたので、1km位が有効射程だったと思われます)。 戦車とは違う異形の突撃砲に、当初フィンランド軍将兵たちから、性能を懐疑する声が上がりましたが、実際に運用が始まるとフィンランドが保有する戦闘車輛の中でずば抜けて性能が高いことがわかって(なんせフィンランド軍が保有していた戦闘車輛の大半が、冬戦争の時にソ連から捕獲した古いものばかりでしたから)、将兵たちから受け入れられるようになっていきます。 そして突撃砲部隊の訓練が完了したのが1944年4月、ソ連軍大攻勢の2ヶ月前の事でした。間一髪の差で配備が間にあったのです。 フィンランド軍III号突撃砲部隊の初陣は、前にブログ「継続戦争7」で書きました1944年6月14日、クーテルセルカの戦いでした。 先陣を切って突撃したマウリ・サルティオ中尉のPs531-19号車(「Ps531」が、突撃砲の車種固有コードで、「19」が車体番号です。19号車の愛称は「マルヤッタ」です)は、なんと30秒間にソ連戦車4輛を撃破する戦果を上げています。 タリ=イハンタラの戦いでも、突撃砲部隊はポルティンホイッカ十字路に進出してきたソ連軍戦車部隊を、味方の重戦車部隊(ソ連から捕獲したT34中戦車などで構成された部隊)と共に壊滅に追いやるなど(この時も先陣を切ったのはサルティオ中尉の「マルヤッタ」でした)、獅子奮迅の活躍をしています。 9月にソ連と講和が成立したため、フィンランド軍III号突撃砲の戦歴は6月から7月までの約1ヶ月でしたが、30輛中損失8輛に対して(ソ連軍の大攻勢が始まると、追加購入とドイツの援助で29輛が新たにフィンランドにやってきますが、大半が戦闘には間に合いませんでした)、撃破したソ連軍戦車は87輛、トラックや対戦車砲、ソ連歩兵に与えた損害は数知れずで、ソ連軍の大攻勢を挫くのに大きな貢献をしました。 戦争が終わった後も、フィンランド軍の主力兵器として60年代まで第一線で現役を務め、退役した今は海外の博物館展示にレンタルされたり、内外の戦争映画などに出演して(前にチラッと書いたことのあるフィンランド映画『タリ・イハンタラ 1944』でも、2輛が撮影に使われて、戦闘シーンでは空砲撃って実写ならではの迫力ある姿をみせています)、平和な余生を送っています。
戦車は何度か作ったことありましたが、III号突撃砲作ったのは生まれて初めてです。 フィンランドの突撃砲は、タリ=イハンタラまでの戦訓から、ヴォルサルミの戦いの時には、外付けの追加装甲板を着け、砲架の両脇にコンクリートの塊を載せ、車体横に丸太を積んで地味に防御力を向上させていますが、今回はタリ=イハンタラまでの戦いで活躍した初期型の方を作ってみました。 プラモの仕様は、上でも触れました突撃砲大隊第1中隊第1小隊長(長いな・汗)マウリ・サルティオ中尉のPs531-19号車「マルヤッタ」にしました。 フィンランド軍の突撃砲エースは、ソ連戦車11輛撃破のPs531-10号車のビョルヨ・ブロテル上級曹長の方が戦果は上ですが、サルティオ中尉は小隊長(途中で第1中隊長、大尉に昇進)として常に先陣きって戦った勇猛果敢な指揮官として名を馳せています。 サルティオ中尉はドイツのSS(ナチス武装親衛隊)義勇兵として、約2年間東部戦線で戦った歴戦の軍人で、人柄は温厚、偽りを口にしたことがない誠実な人物だったと言われています。 また「マルヤッタ」の砲撃手は、戦車師団長エルンスト・ルーベン・ラガス少将の長男オロフ・ラガス伍長(この時18歳。タリ=イハンタラの戦いで負傷して戦線離脱することになります)だったこともあって、クーテルセルカ、タリ=イハンタラで奮戦した「マルヤッタ」の逸話は広くフィンランドで知られています(それを意識してか、プラモデル箱絵も「マルヤッタ」です)。 III号突撃砲G型データ 全長 6.85m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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