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カテゴリ:火山災害
今日はお休みでくつろいだ1日でした。明日明後日は暦どおりのお仕事、それも修羅場になりそうな予感で、今から戦々恐々です(笑)。
それはさてあおき、昨日ニュースでは小さな扱いでしたが、東京都小笠原村にある硫黄島沖の海底火山で、4月29日噴火が確認されました。 もっとも硫黄島沖から本州までは1千キロメートル以上離れているので、大きな影響はないと思いますが、小笠原あたりに旅行されている方などは注意が必要ですね。 ・・・といっても、小笠原旅行されている方が、このブログ見ること無いでしょうから、あんまり意味無いかな(汗)。 小笠原村の硫黄島というと(こういうまどろっこし言い方をあえてするのは、現在の某防衛大臣が薩摩硫黄島と混同した、頭が痛くなる発言されていたので、少し注意が必要かなと思った次第です・笑)、第二次世界大戦の激戦地の一つで、数年前アメリカのクリント・イーストウッド監督が『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』という2本の映画製作したことで話題になりました。 今でも硫黄島に残る戦争の傷跡は大きい島です。 島を一周する道路から外れると、かつてに日本軍の地下壕や不発弾(米軍が硫黄島に撃ち込んだ砲弾を鉄に直すと、島全体にくまなく約140センチの鉄板で覆い尽くせると言われています)があって大変危険です。そのため住民が生活できる環境にないと、旧島民はいまだに帰郷が許されていません。さらに今なお硫黄島での日本軍戦死者約2万名の内、約1万3千名の遺骨が回収されておらず、今も島で眠り続けています。 映画をご覧になった方はご存じかと思いますが、司令官の栗林忠道中将は、圧倒的な米軍の物量に耐えて粘り強く抵抗するため(硫黄島を米軍にとられると、B29の中継基地になり、また護衛戦闘機の使用できる基地になってしまうと、日本本土への空襲が激しくなってしまいます。栗林は1日でも長く抵抗することで、米軍の基地化を可能な限り遅くしようと考えていたのです)、地下要塞化して戦いました。そのため戦争が終わった今日では、日本兵の遺体の多くが地下に残されたまま、地上への出入り口が無くなってしまったのです。 戦後、滑走路を造る際にも数カ所掘っただけで30体以上の遺骨が発見されたという逸話もあります。 硫黄島を一般人が歩く機会はまずありませんが(自衛隊と米軍関係者、基地施設の工事を請け負う企業の社員、それに遺骨の収集で定期的に渡島が許可される人達以外は島に入れません)、もし歩く事が出来たら、遺骨の上を踏みしめながら島を歩いていることを自覚しなければならない、そんな骨踏む島です。
と、今回は戦争の話を書いているわけではないので、このぐらいにして火山の方に話を戻したいと思います。
硫黄島近辺は、あまり知られていませんが、実は日本で最も火山活動が活発な地域です。噴火頻度は鹿児島県の桜島を上回っていると言われています。日本で一番火山活動が盛んな都道府県が東京都だというのは、結構驚かれる方も多いのではと思います(まぁ東京と言っても島の方ですが)。 この硫黄島と、近くにある北硫黄島、南硫黄島の3つは、いうならば火山の山頂部分で出来た島なのです(特に北硫黄島と南硫黄島は、思いっきり山の山頂の形をしています)、山体の方は海の中で見えないため気がつかないだけですが、大きさとしては富士山より遙かに大きいと言われています。 この島が火山だと言うことは、島の名前にも現れています。硫黄が多く産出され、至るどころに硫黄臭が立ちこめていることが、硫黄島という名前に由来なのです。 さらに顕著なのが火山性の隆起で、年平均25センチメートルもの上昇が続いています。これは世界的に見てもかなり大きな隆起速度です。 第二次世界大戦の終結から67年、かつての激戦地、米軍が上陸後大損害を出した海岸は、今では数メートル以上の高台となっており(上昇も一律ではなく、数メートル隆起したところと40センチ位の所と、同じ海岸でも差があるようです)、撃沈された米軍の上陸用舟艇は今では海岸の砂浜に鎮座しています。 今回の硫黄島沖の噴火が、どの程度大きくなるかわかりませんが(少なくとも今話題の南海トラフなどの地震には影響ないと思われます)、島が新たに一つ出来たとしても私は驚きません(笑)。 ただ津波が起きる可能性はありますので、その辺は注意ですね。 それではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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