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カテゴリ:激動の20世紀史
映画『13デイズ』では、ケビン・コスナー演じるケネス・オドネル大統領補佐官が、ロバート・F・ケネディ司法長官を会見場所まで車で送るシーンが出てきます。 車中でロバートは緊張を隠せず、「僕は頭が良いとか有能なヤツだと言われるのが嫌いなんだ。冷酷な人間と言われているような気がしてね」と言うと、つかさずオドネルは、「安心しろ、君は十分馬鹿だ」と答えます(余談ですが、この2人は大学時代からの親友同士で、それが縁でジャック(ジョン・F・ケネディ大統領)とも知り合いになり、大統領補佐官になりました。毒舌家のロバートの親友だけあって、オドネルも相当な毒舌家だったようです) 。 ロバートが苦笑すると、「だけど僕が大統領だったら、やっぱり君に交渉を任せるよ。君になら、僕の家族の命を任せられる」と励まします。 もちろんこのシーンは史実ではなくフィクションですが、最後の交渉を前にした緊張感が伝わってきます。 出発前、ジャックは弟に念を押しました。 「ボビィ(ロバート・ケネディの愛称)、(開戦の)スケジュールを延期することは出来ない。返答は月曜(10月29日)の朝までだ。くれぐれもそれを忘れるなよ」 これでは、どんな老練な政治家でも緊張するなと言うのは無理でしょう。ましてこの時ロバート・ケネディは36歳、政治家としては若造扱いの歳です(余談ながら、兄ジョン・F・ケネディ大統領は45歳、交渉相手のアナトリー・F・ドブルイニン駐米ソ連大使も42歳で、こちらも「若造」でした)。 会見場所に最初に到着していたのはロバートの方で、ドブルイニンは彼に案内されて室内に入りました。 ドブルイニンはこの時のロバートの様子を「司法長官は蒼白な顔をして私を迎えた」と表現し、ロバートも「大使は無表情でぎこちなかった」とドブルイニンの様子を語っており、2人とも極度に緊張していた事がうかがえます。まぁ、無理もありませんね。 時間がないこともあって、挨拶もそこそこにロバートは本題に入りました。 ロバートはドブルイニンに、一連のエクスコム(最高執行評議会)の結果を具体的に話し、政府もこの結論を支持するだろうと、キューバへの侵攻不可避の現状を説明しました。そして、 「ドブルイニン大使、合衆国政府はフルシチョフ書記長が26日夜に提案された条件を、全面的に受け入れる用意があります。 と切り出しました。 「トルコのミサイルの件はどうでしょうか? そちらも了承いただけるなら、我々も反対する者を説得しやすくなります」 無理は承知ですが、ソ連本国の事情を考えると、どうしてもアメリカに要求を飲んでもらわないといけないのです。ドブルイニンは必死でした。 「大使、我が国は"交渉"には応じますが、"脅迫"や"強要"を飲むことは出来ません。それは貴国においても同様と思います」 ロバートの言葉に、ドブルイニンは押し黙りました。逆の立場なら、ソ連は絶対に要求をのまないことを彼は知っていました。 「・・・しかし、それでは・・・。最悪の事態を避けることが出来なくなります」 ドブルイニンは慎重に言葉を選びながら答えました。本当は「それでは戦争を避けることが出来なくなります」と言いかけたのですが、自制して主語をぼやかした言い回しに変えました。 なぜなら、「戦争を避けることが出来なくなりますよ」と発言して、ロバートが「そうですね」などと返事を返してきたら、その瞬間、戦争になることが決定的になってしまうからです。 腰を浮かしかけたドブルイニンを、ロバートが手で制しました。話には続きがあったからです。 「ドブルイニン大使、これからお話しする事は内密にお願いいたします。トルコのミサイルですが、安全性に問題があることが懸念されているため、撤去の計画があります」 ドブルイニンは目を見張りました。アメリカはソ連の要求を拒否するのに、ソ連の要求する通りの結果になるからです。 「撤去の計画・・・、それはいつのことですか?」 これが10年先などと言われたら、話になりません。 「大統領は半年を目処に、実行することを望んでいます」 半年と言うことは、キューバ危機のほとぼりが冷めて、表面的には無関係という形で、ミサイルを撤去すると言うことになります。 ソ連にメンツがあるように、アメリカにもメンツがあります。ドブルイニンからみてそれぐらいの時間は許容内に感じられました。 「その話は間違いなく、あなたのお兄様のお言葉なのですね?」 「合衆国大統領の発言です」 ロバートは"合衆国大統領"と言う言葉に力を入れました。 「内密にと言うことですが、同志フルシチョフ以外の政府高官の耳に入れても大丈夫ですか?」 「もちろんです。フルシチョフ書記長が問題ないと考えられるなら、どなたにお話いただいたもかまいません。しかしこの話が露見した場合、合衆国政府はその話を全面的に否定し、トルコからミサイルを撤去することはありません。 ドブルイニンの顔に緊張が戻りました。もちろん彼は、ロバートが強調した時間の意味に気がついたのです。 「わかりました。では司法長官、私は至急大使館に戻らねばなりません。すぐにモスクワに連絡を取らねばなりませんから」 ソ連における駐米大使の地位は、決して高いものではありません。ドブルイニンに交渉の決定権はなく、クレムリンのフルシチョフ書記長に取り次ぎしなければならないのです。 この時代、ホワイトハウスとクレムリンに、直通のホットラインはありません(後日談になりますが、キューバ危機を教訓に、ホットラインが引かれることになります)。ワシントンとモスクワ間のテレックスによる通信は、通常の短い電文でも、片道8~10時間位かかるため、本当にのんびりしている時間はなかったのです。 ワシントンからの急報がモスクワに届けられた時、ニキータ・フルシチョフ書記長は閣僚を招集して情勢の分析と今後の対応について話し合いをしていました。 もちろんこの時彼らは、ロバート・ケネディとドブルイニンの会談の事を知らず(タイムラグのため、まだ連絡が伝わっていなかったのです)、U2撃墜によって、いつアメリカの軍事行動が開始されるか、その意見集約が中心だったと言われています。 そんな時に届けられた駐米大使からの報告に、閣僚たちはどよめきました。 さらにこの時、もう一つの急報が届けられました。それは、「ケネディが米東部時間28日午前9時に、テレビ演説をおこなう予定。内容は国家の安全保障に関わる重大な声明」というものでした(実は日曜日の放送は、22日のテレビ演説の再放送だったのですが、ソ連側がそこまで知るよしもありません)。 この話にはもう一つ補足事項があり、ケネディ大統領の日曜朝の礼拝(ケネディ家は敬虔なカトリック教徒です)は、普段より時間が長い点が言及されていました。 宗教観念の希薄な日本人にはピンときませんが、欧米諸国の国家元首が開戦を決定する時、教会で神に祈りを捧げてから行うのが通例でした。つまり時間が長い礼拝とは、戦争に際して神に"赦し"を請う時間だったと思われたのです。 以上の点からフルシチョフは、これ以上の交渉引き延ばしは出来ない、すぐにアメリカのキューバ侵攻の開始される可能性が高いと考え、ドブルイニンが伝えてきたアメリカの条件を、全て受諾することを決断しました。 モスクワ時間28日午後5時(アメリカ東部時間午前9時)、モスクワ放送はフルシチョフの緊急声明を、ロシア語と英語の2カ国語放送で世界中に発信しました。
こうしてケネディ大統領が開戦の声明を出すちょうど一日前、危機は回避されることになりました。 次はキューバ危機のその後について触れてみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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