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2014.10.21
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カテゴリ:雑談

飲み過ぎです

先日の日曜日、唐突に(父方の)従姉鳥から電話がかかってきました。

「今から遊びにおいでよ。叔父さん(ウチの父鳥)が来てるよ」

え? 親父ぃ、なにやっとるんじゃ! とビックリしました。

私の家と従姉鳥の家は同じ江戸川区内にあります。直線距離だと2キロぐらい離れてます。
1人気ままな私と違い、従姉鳥は家庭を持っていますので(私より18年上で、歳から見れば、7つしか離れていない従甥鳥の方が、従兄弟っぽい感じです)、数年に一度ぐらいの割合で郊外型の大きなスーパーで遭遇することを除けば、会う機会もありません(幸運といえるかも知れませんが、父方の方は近年不幸などがなく、法事などもありません)

この前日ですが、父鳥と電話で話していて、「明日中学の同窓会で、松江(東京都江戸川区松江町)に行くから」とは聞いていたのですが、それがどうして一之江(江戸川区一之江町)の従姉の家にいるの? と首をかしげつつ、ともかく従姉の家に向かいました(途中義従兄鳥(従姉鳥の旦那)が、車で迎えに着てくれたので、それに乗っていきました)

従姉鳥の家に着くと、ウチの父鳥だけでなく、伯父鳥・伯母鳥、従兄鳥も来ていて、宴会状態でした(もっとも、伯父鳥と従姉鳥は下戸で、伯母鳥、従兄鳥、義従兄鳥は病気でお酒を飲めなくなっており、出来上がっていたのはウチの父鳥だけでしたが・汗)

父鳥に聞いたところ、「同窓会終わって、お前の家に寄ろうかとぱたぱた飛んでいたところ、たまたま近くをうろついていた義従兄鳥に見つかって捕獲され、それで伯父鳥と従兄鳥に連絡したら「会おう、会おう」となって、唐突に宴会になった」とのことでした。

うーん、ノリがいいなぁ。

おかげで私も、ご相伴にあずかってお酒と料理をごちそうになりました。

最近は親戚一同で集まる機会もないし、あったとしてもお葬式だ何だとあまりめでたくない集まりなので、純粋な宴会というのは貴重かも知れません。

久々にあった伯父鳥と叔母鳥は、ずいぶん小さくなっていました(文字通りの意味で)。ふたりとも大病を患ったと聞いていたのですが(私には退院してから連絡が来たので、お見舞いにも行けず、不義理なことになってしまいました・・・)、そのせいですかね。今も体長は芳しくないと言うことで、色々心配です。

宴会なのでみんなそれぞれワイワイやってましたが、途中から私と父鳥、伯父鳥は戦時中の小松川(現在の江戸川区東小松川町)と松江の話になっていました。多分私が歴史をやっているの伯父鳥も知っているので、自然とそう言う話題になったのかも知れません(ちなみに終戦時、伯父鳥は14歳、父鳥は8歳でした)

今回は笑える話だけ書いてみたいと思います(とても酷い話も聞きましたが、それは別に機会に)

現在は一面市街地ですが、当時の東小松川地区と松江地区は、田んぼの中に家が少しあるだけの集落でした。

もう少し詳しく言うと、首都高速7号小松川線の南側、船堀街道筋と松江小学校に至る横道位しか家はなかったようです。

目立つような建物などほとんど無かったのに、B29の空襲が始まると、度々爆撃に遭っていたようです(ただしそんな土地柄なので、都心に比べれば被害は小さかったようです)

伯父鳥「(昭和)19年の暮れ頃、初めて空襲があってね。(松江)小学校の近くに爆弾が落ちたんだ。それで弟(父鳥のこと)連れて見物に行ったんだ」
父鳥「あー、それ覚えてる。びしょ濡れの泥まみれになったときだ」
私「泥まみれ?」
伯父鳥「見物していたら、警戒警報(敵機の接近を知らせる警報。一機だけの侵入の際も出されました)鳴ったから、慌てて田んぼの中に飛び込んで家に帰ったんだ。田んぼに水はなかったけど、こいつ、端の水路に落ちてね」
父鳥「中学生は飛び越えられても、小学生に越えられるわけないだろ。しかも思い切り引きずられたのに」
私「なるほど(笑)」
伯父鳥「お前、東京大空襲の時、家にいたっけ?」
父鳥「いたよ。疎開(山形に疎開したそうです)したのはその後だよ」
伯父鳥「姿を見た覚えないが」
父鳥「よく言うよ! 親父(私から見れば祖父鳥)と2人で、すまきにして押し入れに放り込んでいたくせに!」
伯父鳥「思いだした思いだした。空襲になった時、お前よく寝ていたから、親父が「起こすの可哀想だ」と、防空ずきん被せて布団を重ねて、押し入れの下段に放り込んだんだった。あそこは家の中で一番頑丈なところだったからな。それであとの者はそのまま部屋で寝てたんだった」
私「え? 普通に寝てたの?」
伯父鳥「その頃は、防空壕無かったんだ」
父鳥「朝起きてビックリした。体は動かない、あたりは真っ暗で息苦しいし。死んだのかと思った」
伯父鳥「うん、朝なんか忘れてるなと思ったら、押し入れの中で大泣きする声が聞こえて、「あ、押し入れに入れたままだ」と気がついた」
私「(笑)」
父鳥「それからしばらく、暗いところと狭いところは苦手になった」
伯父鳥「親父も、「あれは悪いことしたなぁ」と言ってたよ」
父鳥「兄貴は何とも思わなかったのか?」
伯父鳥「うん、まぁいいかと思った」
私「(笑)」

とまぁ、こんな感じで、仲のよい兄弟だったことはよくわかりました。

戦争が終わってから来年で70年、こういう体験を話せる人は、どんどん少なくなっている今日、思いもかけず貴重な話を聞けたなと思いました。

そんな感じで盛り上がったあと、21時頃お開きとなりまして、「家に帰るの面倒になった」という父鳥は息子の家に一泊して、月曜日に帰って行きました(仕事で私の方が先に出たので、帰るところは直接見ていませんが)

まぁ、たまにはこういう集まりも良いもんですね。

それではまた。






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Last updated  2014.10.22 08:12:16
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