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カテゴリ:雑談
先日の日曜日、唐突に(父方の)従姉鳥から電話がかかってきました。 「今から遊びにおいでよ。叔父さん(ウチの父鳥)が来てるよ」 え? 親父ぃ、なにやっとるんじゃ! とビックリしました。 私の家と従姉鳥の家は同じ江戸川区内にあります。直線距離だと2キロぐらい離れてます。 この前日ですが、父鳥と電話で話していて、「明日中学の同窓会で、松江(東京都江戸川区松江町)に行くから」とは聞いていたのですが、それがどうして一之江(江戸川区一之江町)の従姉の家にいるの? と首をかしげつつ、ともかく従姉の家に向かいました(途中義従兄鳥(従姉鳥の旦那)が、車で迎えに着てくれたので、それに乗っていきました)。 従姉鳥の家に着くと、ウチの父鳥だけでなく、伯父鳥・伯母鳥、従兄鳥も来ていて、宴会状態でした(もっとも、伯父鳥と従姉鳥は下戸で、伯母鳥、従兄鳥、義従兄鳥は病気でお酒を飲めなくなっており、出来上がっていたのはウチの父鳥だけでしたが・汗)。 父鳥に聞いたところ、「同窓会終わって、お前の家に寄ろうかとぱたぱた飛んでいたところ、たまたま近くをうろついていた義従兄鳥に見つかって捕獲され、それで伯父鳥と従兄鳥に連絡したら「会おう、会おう」となって、唐突に宴会になった」とのことでした。 うーん、ノリがいいなぁ。 おかげで私も、ご相伴にあずかってお酒と料理をごちそうになりました。 最近は親戚一同で集まる機会もないし、あったとしてもお葬式だ何だとあまりめでたくない集まりなので、純粋な宴会というのは貴重かも知れません。 久々にあった伯父鳥と叔母鳥は、ずいぶん小さくなっていました(文字通りの意味で)。ふたりとも大病を患ったと聞いていたのですが(私には退院してから連絡が来たので、お見舞いにも行けず、不義理なことになってしまいました・・・)、そのせいですかね。今も体長は芳しくないと言うことで、色々心配です。 宴会なのでみんなそれぞれワイワイやってましたが、途中から私と父鳥、伯父鳥は戦時中の小松川(現在の江戸川区東小松川町)と松江の話になっていました。多分私が歴史をやっているの伯父鳥も知っているので、自然とそう言う話題になったのかも知れません(ちなみに終戦時、伯父鳥は14歳、父鳥は8歳でした)。 今回は笑える話だけ書いてみたいと思います(とても酷い話も聞きましたが、それは別に機会に)。 現在は一面市街地ですが、当時の東小松川地区と松江地区は、田んぼの中に家が少しあるだけの集落でした。 もう少し詳しく言うと、首都高速7号小松川線の南側、船堀街道筋と松江小学校に至る横道位しか家はなかったようです。 目立つような建物などほとんど無かったのに、B29の空襲が始まると、度々爆撃に遭っていたようです(ただしそんな土地柄なので、都心に比べれば被害は小さかったようです)。 伯父鳥「(昭和)19年の暮れ頃、初めて空襲があってね。(松江)小学校の近くに爆弾が落ちたんだ。それで弟(父鳥のこと)連れて見物に行ったんだ」 とまぁ、こんな感じで、仲のよい兄弟だったことはよくわかりました。 戦争が終わってから来年で70年、こういう体験を話せる人は、どんどん少なくなっている今日、思いもかけず貴重な話を聞けたなと思いました。 そんな感じで盛り上がったあと、21時頃お開きとなりまして、「家に帰るの面倒になった」という父鳥は息子の家に一泊して、月曜日に帰って行きました(仕事で私の方が先に出たので、帰るところは直接見ていませんが)。 まぁ、たまにはこういう集まりも良いもんですね。 それではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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