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カテゴリ:病気
正確に言えば昨日ですが、無事に退院いたしました。 コメントをくださった皆様にお礼申し上げます。順次レスをさせていただきたいと思います。 皆様の予測、だいたい当たっています(笑)。先月に「体の凝りが・・・」と言っていたのは、間違いなく今回の病気の前兆ですし、2年ぐらい前に入院していたこととも無関係ではありません。 1週間前の4月10日、いつものように朝起きて自転車通勤しました。この日はあいにくの雨で、合羽を着ての自転車でしたが、もう1年も続けていますと、「雨が鬱陶しいな」程度です。 途中、清砂大橋で少し胸が苦しくなりました。これは2月終わりぐらいからちょくちょく感じていたことなので、「今日もだなぁ」ぐらいにしか思わず、無理せず橋を登っていきました。 胸の苦しさも数分で収まってしまうので、 会社につく頃には直っていることが多いのですが、この日はちょっと引きずっていまして、少し息苦しさのようなものを感じながら、会社に到着、自席につきました。 ですが数分座っていると、今までの苦しさも嘘のようになくなり、お茶を飲んで一息ついて、始業となりました。 いつも通り倉庫内に行き、普通に挨拶やいつもの軽口などを交わして、書類を受け取って、引き揚げようとした瞬間、がくんと、ふいに変な感覚に襲われました。 この感覚というのは、例えていえば、 何か大きな食べ物を強引に飲み込んで、のどに引っかかったときのような、そんな感覚でした。 と同時に、肩から肩甲骨あたりまで、じわじわと痛みが広がってきて、歩けなくなりました。 これはまずい、倒れちゃうなと思った私は、すぐに自席まで戻ろうとしましたが、足元もおぼつかなくなり、壁に寄りかかって動けなくなり、その後すぐに崩れ落ちるように膝をつきました。 「鳥さん、大丈夫ですか?」 異常を察した庫内の人たちの声が飛んできましたが、大丈夫と声を出すことも出来ず、そのまま完全に倒れました。 口から出る言葉は、「苦しい」「痛い」だけなんですが、頭の一部は冷静で「騒ぎになっちゃったなぁ」と考えていると、上司が飛んできまして(打ち合わせで庫内に来る用があって、たまたま通りかけたところ、倒れている鳥類を見かけて慌てて飛んできたようです)、その上司から、課長に連絡が行き、やってきた課長が「救急車!」と判断して、通報となりました。 救急車がくるまでの間、「大丈夫? 意識ある?」といった周囲から声がかけられましたが、質問を認識できるものの、答えることができないというもどかしい状況が続きました。 口の方は「苦しい」「痛い」の言葉しか出ない感じなんです。 救急車が来てからもそれは同じで、「生年月日は?」「年齢は?」「今飲んでいる薬とかある?」という質問が来ても、なかなか返事できません。 たとえば生年月日は、「・・4・9年・・・7・・・月・2日・・・」みたいな受け答えになってしまい、次の単語が出るまで声が出ないんです。普段なら、すらすら答えられるんですけどね。 ただこの頃には、今自分に起きている病状が、26年ほど前に、父鳥が心筋梗塞で倒れた時と同じだと気が付いていたので、一言「心筋梗塞」とだけ救急隊員に伝えました。 もちろん相手はプロなので、その可能性が高いことはわかっていたようで、「そうかもね。もう少しで病院だから頑張ってね」と声がかかりました。 病院につくと、直ちに検査が行われ、その結果、心臓の冠動脈が完全に閉塞していることが確認され、緊急カテーテル手術が行われまして、血管をふさいでいる血栓の吸引(これで血流は回復)、次に収縮した冠動脈を広げて、ステンドという金属の網を血管内側に設置して、動脈が収縮しにくくする処置をして終了となりました。 手術時間は1時間ぐらいでしたかねぇ。倒れてから2時間ぐらいで処置は終了しました。 医師からは、「もし処置が1時間遅かったら、確実に死んでいた」と言われる状況でした。 もし症状が出たとき、自席に帰りつけていたら、鳥類そのまま死亡していたようです。帰りつけずに倒れたのが、命が助かることにつながったようです。 これがもし自宅で倒れていたら、30分ぐらいは落ち着くか様子見をして、それから救急車と考えていたことでしょう。 あの状況を考えると、30分後に当然収まる可能性はなく、救急車を呼ぼうとなったと思いますが、受け答えが困難だったことを考えると、救急車をすぐに呼べたとは思えず、たぶん命はなかったでしょうね。 職場で大勢の人に迷惑をかけてしまいましたが、人のいる前で倒れたことで、すぐに助けを呼んでもらえたことが、私はの命的には大変良かったようです。人生・・・もとい、鳥生はわからないものです。 こうして生まれて初めての本格的な入院生活が始まりましたが(前は1日で退院できましたので、お泊り会的な感じで終わりました)、一番苦しかったのは初日で、集中治療室で両手を半固定されて(カテーテルを入れた右手は、止血のため約10時間圧迫ベルト付き、左手は3つの点滴を差し込まれました)、採血は最初脚からとられまして(両腕とも使えなかったため)、その後は左手に器具を付けられて、強制採血できるようになりました(左腕を金属の細いパイプが差し込まれていて、地味に痛くて怖かったっす)。 心臓の痛みは、夜中まで続きました。その痛みと頭痛(点滴の成分の副作用で、頭痛が出るようでした)で、眠ることが出来ずに大変でしたが、翌日の朝には嘘のように痛みは引きました。 容体が安定したこともあり、1日で集中治療室とおさらばできましたが、ココからは鳥類の浅はかさで修羅場となりました(汗)。 まず一般病棟の一人部屋に移りましたが、絶対安静にもかかわらず、トイレ(同じ室内にベッドから1mぐらい離れたところにあります)に行って、「心筋梗塞の翌日に歩くなんて!」と看護師さんに怒られ、逃走防止用のセンサーがベッドに取り付けられました(その後は36時間後に、トイレ自力許可が出るまで大人しくしていました)。 3日目からは胸が苦しくことは皆無になったため、先生に「大人しくしていますから、自宅に帰れませんか?」と言って怒られ、4日目にフロア内の歩行解禁となり、心臓に気を付けながら4周ほど歩いていたところ、「歩きすぎ!」とまた怒られ(自分的にはかなり控えめにしたつもりでしたが、先生曰く、「普通の人は1周したら戻ってくるのに、初日から何周も歩くな」と言われました。ちなみに友人のこの話をしたら、大爆笑されました)、初めての入院生活は、怒られてばかりの波乱に満ちたものでした。 そして昨日、予定より1日が早まる形で退院いたしました。 家に帰ってくると、やっぱり病院より精神的にはくつろげますね。でも食事等は自分で準備しなくてはなりませんから、体力が衰えていることもあって、肉体的には非常に疲れます。 心臓の痛みの方もなく、むしろ前より好調(たぶん、結構前から詰まってきて調子悪かったんだろうな・・・)な感じがしますが、もちろんそれは錯覚なことも理解しています。 先生からはまだ詳細な話を聞いていませんが、心筋梗塞やれば、心臓の細胞の何割かは確実に壊死しているはずですから、心臓自体の力は弱まっています。 現に昨日は家に帰ってきて、ちょっとした片づけをして、郵便局まで行って帰ってきただけで、疲れて寝ていました。 自分の心の中では、今週後半は職場復帰できるかなと思っていましたが、やや難しそうかなと感じています。 ただ先生曰く、「あなたの心臓は頑丈な方なので、1か月無理しなければ自転車通勤もできるようになれそうだし、半年我慢すれば温泉も入れる。1年すれば登山ができるようになると思うよ」とのことなので、無理せず療養しながら頑張っていきたいと思います。 皆様も体調には気を付けてくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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