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カテゴリ:オカルト系
※オカルト系のネタになりますが、怖い話は一切出てきませんので、苦手な方も安心してご覧ください。 前に「西暦535年」のテオティワカンのところで触れたネタを掘り下げてみます。 私がアステカの祭壇というネタを初めて知ったのは、2000年代初め頃(2001年か2002年頃だった気がします)、TBS系でやっていた超常現象ネタの番組です(番組名は忘れました)。確か、TOKIOの国分さんと嵐のメンバーが出ていたように記憶しています。 他にはフジ系列の『奇跡体験アンビリバボー』でも取り上げられていたそうですが、そちらは記憶にありません。あの頃、どちらの番組も見ていたはずなんですけどねぇ。 具体的な写真は以下のようなものです(ネットで拾った写真です)。 写真を見ると、オレンジの光が何か器のような形となっています。実に気持ちの悪いですね。 話の流れとしては、番組で心霊写真の投稿を鑑定するもので、その中で霊能力者が、「これはある残酷な儀式で使われた台だ」「殺された生贄の血を入れる壺が映った」と主張しました。 そしてテレビでは、アステカ文明の人間を生贄としてささげる習慣も紹介され、「生贄として殺された人たちの怨念が・・・」とか、「撮った者や見た者を不幸にする」と解説されていました。 この写真が、オカルト好き(当時の私も含む)に大きく話題になったのは、撮った人物がお互いに関連性がないうえに不特定多数で、撮影された場所もバラバラであったためで、無差別に撮れる「心霊写真」だったことです。 つまり、自分もカメラを使っていたら、いつかこの写真を撮ることもあるかもしれないわけで、その恐怖は他人事ではなかったからでしょう。 さらに、この写真がテレビで取り上げられると、「なんて不吉な写真をテレビに出したんだ!」と、霊能者からテレビ局に抗議が殺到したという話が、オカルト雑誌で取り上げられたため、一世を風靡したオカルトネタとなりました。 私も最初見た時は「気味の悪い写真だなぁ」と思ったんですが、同時にテレビの解説に違和感を感じました。私が歴史を勉強していたからでしょうね(メソアメリカ文明は専門外だけど)。 確かにテオティワカンもアステカも、テレビで言っていたように人間を神々への生贄としてささげる習慣を持っていましたが、生贄の基準は、前にブログでも触れたように、上流階級の者が中心でしたし、嫌々生贄にされるのではなく、むしろ選ばれたことが名誉という考え方をしていたことを知っていたからです。 もちろん、中には嫌々という人もいたかもしれません。やっぱり自分の命が無くなるわけですから、文化的には名誉なことであっても、個人として葛藤や悩みはあったかもしれません。 しかしそれは、史料的な裏付けがないため(むしろ史料に出てくるのは、喜々として生贄になる人々の姿について、「忌まわしき風習」として批判的な論調で記録しているヨーロッパ人のものです)、確認できない部分です。 確かに、日本でも飢饉や干ばつの時などに、人身御供をしたなどの伝承もあり、こちらは強制的なものもあったようですが、他文化のそれを重ね合わせてみてしまうのは、極めて主観的な主張で、客観的な見解とはいえません。 メソアメリカの生贄文化は、「武士にとって切腹は名誉」の感覚と比較するのが、日本人に理解しやすいかもしれません。 さらに言えば、アステカ人と日本人に人種・文化的な繋がりはありません。 アステカ人の子孫であるメソアメリカの人々が写真を撮るなら、まだ「子孫へのメッセージ」と言えると思いますが、関係ない日本人のところに何故祭壇が現れるのか? と考えると理屈に合いません。 と考えていたので、私は「アステカの祭壇」と言われる写真は、「気持ち悪い写真だな」と思っていましたが、解説部分については、かなり疑問視していました。 この話に自分の中で答えが出たのは、ブームが去ってから数年後になりますが、自分のフィルムカメラで撮影した写真に、奇妙なオレンジ色の光がちょくちょく写っていたことが原因でした(私は2002年からデジカメ買って使い始めましたが、フィルムカメラも2006年ぐらいまで使っていました)。 現像された写真を見て驚いた私ですが(その時点では、「アステカの祭壇」の話はすっかり頭から消えていました)、フィルムカメラに詳しい父鳥に写真を見せたところ、「カメラ内部がカビたな」と、一言で終わりでした。 「光を感光させて撮影するフィルムカメラは、赤系統の光を取り込みやすい。フィルムに感光して光が入ってしまったのだろ」と言われました。 話を聞いている内に、「アステカの祭壇」を思い出したので、まだとってあったオカルト雑誌を引っ張り出して、写真を見せたところ、父鳥は少し首を傾げた後、「(形のところをなぞりながら)これフィルムを抑えている部品じゃないか? シャッター押した後に、フィルムの巻き上げをミスして、部品の形に感光したんじゃないの?」との意見でした。 つまり、シャッターを押した後、指を離す前(つまり絞りが開いた状態で)に巻き上げ始めてしまったり、自動巻き上げ機能付きのカメラの場合は、その機能が若干不調だったりして絞りが閉じていない状態だったため、フィルムに感光されたのではないか、という事でした。 父鳥の意見が正しいかどうか、ネットなどで調べたり、フィルムカメラに詳しい知人などに聞いてみたところ、ほぼ同じ意見でした。 中には「アステカの祭壇の写真のとり方」みたいな内容を、実践してブログで書いている人もいました。 そして同時に極めて重要な情報もありました。それは「アステカの祭壇」は、デジカメでは撮れない(画像を加工すれば別)点でした。 実際、テレビで紹介された「アステカの祭壇」は、すべてフィルムカメラで写真で撮影されていました。デジカメで普通に撮影していて撮れないんです。 そして現在、デジカメが普及して、フィルムカメラの需要激減にともない、「アステカの祭壇」写真は、まったく報告されなくなっていました。 またテレビ局に来た抗議の大半も、フィルムカメラに詳しい人たちからで、「いい加減なことを言うな。テレビ局のくせに、カメラの構造を知らないのか」「デタラメな放送はやめてほしい」という内容がほとんどだったようです。 この辺も、前に心霊写真ネタをブログで書いた話とつながりますね。 「抗議がたくさん来た」→「危険な写真を放送したからだ」と事実無根の話にすり替わり、デマとなって広まるという図式です。 「もし霊能力者のいう事が嘘だったとして、こんなネタとしか思えない話を、テレビが取り上げることに意味があるの?」と思う方がいると思いますが、この手の話は、両者にとって相利共生になるものなのです。 霊能力者側は知名度が上がり、依頼人やグッズなどが飛ぶように売れました(私はその時の霊能力者さんが、オカルトマニアの間で大ブレイクして、オカルト雑誌などで積極的に幸せになれるお札だの、お守りだのグッズ販売をしていたのを知っています)。 テレビ側も高視聴率を稼げたようで、心霊関係の特集や番組が急増しました。 それまでは夏場がメインだったものが、季節関係なしに、毎週どこかしらのチャンネルで、心霊番組が見られるような時代が数年ほど続くことになったのです。 ちなみに、最初にあげた『奇跡体験アンビリバボー』は、その後心霊系の話を年数回程度しかやらなくなっていきます。 マニアからは、「アステカの祭壇という危険な話をしたため、その影響で自粛するようになった」と現在でもまことしやかに言わるているようですが、実際にはスポンサーが変わって、心霊ネタばかりの番組構成に、疑問を呈されるようになった(途中から、『心霊体験アンビリバボー』状態になってましたからねぇ)。放送内容のやらせ疑惑がたびたび指摘されるようになったことに、局が消極的になったのが、大きな理由と言われています。 まぁ、毎回だと話も集まらないだろうし、明らかな作り話も取り入れることになりますからね。「質の低下」になったのかもしれません。 あ、そうそう、アンビリのオカルト系全盛時代に放送された杉沢村伝説(これも話のついでに、気が向いたら解説しましょうかね)というのがありますが、10年ぐらい前の番組で、タレントの北野誠さんがあっけなく探し出して(「これじゃ番組にならない」と嘆かせるレベルのあっけない見つかり方でした)、殺人事件はあったものの、伝説で言われたような大量殺人などなかったことも明らかにしています。 こうしてみていくと、怪しい話は盛りだくさんだったようです。 あまり気にしすぎると全部がやらせや捏造になってしまい、テレビが面白くなくなってしまいますが、話を純粋に楽しむ一方で、鵜呑みにしない。知的に考証していくアンテナを張り続けることは重要だと思っています。 それがデマや偽科学、マルチ商法やカルト宗教、詐欺などから身を守る力になると私は考えています。 それではまた。
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