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はっぴーらいふ in 林治療院

はっぴーらいふ in 林治療院

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2009.03.29
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患者さんからの体験談を頂きました。

林治療院で股関節の治療をしていただくようになって、もう10年になります。
しかも、現在、私は岡山に住んでいます。基本的には一ヶ月に一度、一泊二日か、二泊三日で岡山から治療に通っています。

年齢は40代後半、職業は大学教授です。
朝早くから、夜遅くまで、日々激務をこなせるのは、林先生の治療のおかげに他なりません。

さて、私の病歴をお話します。

3歳~6歳まで、右股関節が結核菌によって冒され、日本赤十字病院の整形外科で入院治療を受けました。
結核はそのものは完治したのですが、この時の後遺症として右股関節の変形が残りました。

しかし、幸いなことに20代後半までは、「普通の人」と同じような生活ができました。
学生時代の体育の時間には、通常の競技や運動を何不自由なくこなしていました。

右股関節の変調を感じたのは、28歳の時だったと記憶しています。

特別なことをしたわけではないのに、股関節に痛みを覚え、それが数日続きました。
そのう、椅子から立ち上がる時や、赤信号で立ち止まり、青信号になって歩き始めようとした
途端に、股関節に激痛が走り、歩くことが苦痛になりました。
ただ、この時の痛みは一過性のものでした。

しかしながら、20代後半から30代前半にかけて、徐々に右股関節が不自由になっていきました。
去年まで普通にできていたことが、今年はできなくなっている、不安と向き合う日々だったように思います。
走ることができなくなり、そのうち早歩きもできなくなっていきました。
正座ができなくなり、和式のトイレが使えなくなりました。
歩き始める時には、絶えず激痛が走るようになり、30代後半から40代前半にかけては、
他人から「足の不自由な人」という目で見られるようになっていました。
疲れがたまると、杖なしの歩行は困難になり、一年のうちに平均すると1・2ヶ月は
松葉杖を使って歩くようになっていました。

西洋医学では、人工関節の手術しか治療方法はないと言われていました。

ちょうどその頃、「自然良能会」の東京総本部(大崎)で、初めて林先生の治療を受けました。
当時、私はまだ東京に住んでいて、自宅のあった三鷹から大崎まで電車で通うのも楽ではありませんでした。

「自然良能会」の東京総本部には、治療なさる先生が数名おられたのですが、どの先生の治療を受けた時よりも、林先生の治療を受けた時の方が、足の運びが楽になり、痛みを忘れることができました。

林先生とのお付き合いは、この時に始まり、以来10年の歳月が流れ、私自身の生活環境も大きく変化しました。

岡山の大学に就職が決まってからは、それまで一週間に一度は受けていた治療が、一ヶ月に一度になり、股関節への負担が倍増していき、右股関節の変形が一層進みました。

けれども、ここ数年は、林先生の治療のおかげで現状維持ができ、安定しています。

整形外科のお医者さんは、私の足を見ると杖なしで歩いているのが不思議だと言います。
人工関節の手術をするのは時間の問題だと言われ、早期の手術さえ勧められます。

しかし、私はその必要を全く感じていません。

なぜなら、林先生の治療を定期的に受けていれば、まだまだ自分の足で、杖なしで頑張れるという自信があるからです。

岡山でも数え切れないほどの治療院で治療を受けてみましたが、どこも私を満足させる治療ではありませんでした。

自分の症状に合致し、しかも心から信頼できる治療というものはそう多くないと思います。
林先生との出会いがなかったら、杖無しの歩行は困難になっていたに違いありません。
自分の体内にある 回復を促す力を信じ、前向きな生活を送ることができる日々に感謝しつつ、東京での治療を心待ちにしている私です。

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Last updated  2010.07.27 15:18:26



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