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外から戻って(トイレとかほかの部屋とか仕事帰りとか)部屋に入ると愕然とする今日この頃。
泥棒が入っても決してわからない状況といいましょうか。 犯人は私も含めて5人。 萎えます。 自分の動力を、何もかもを根こそぎ奪い去られたような感覚に陥って、ビーズクッションに横たわって現実逃避です。 ちょっと元気で片付けるか~とか思っても、アレを提出、ナニの準備、やつらのコレを用意、あ、メシ・・・・・・・・・ 手に取る先から時間の食うことがあとからあとから溢れてきて、もう、ほんと気分的にお手上げです。 自分のやりたいことだって沢山沢山あるのにそこに到達することは殆どありません。 そう、こうやって寝る時間を削る以外に方法がないのです。 自然、体調をくずし、心も付いていかなくなる。当然の流れといえましょう。 でも、半端にあがいてぶら下がってる時よりも、鬱宣言をされたおかげでかなりのところまで落ちたといえるのか、気分的に上がってるとは言えないけど、ある意味吹っ切れたところもある感じがします。 で、片付け中に三男の穴あきズボンのアテ(なつかしのワッペンてやつです)が半分取れてしまったのでそれを直してる時にふと気が付きました。 ついさっきのことです。 全体は見ない。 手前から、自分の見えたものから一つずつ始末していけばいつかはなくなる。 元気なころにはコレを心に留めていつも実践してきたはずなのに、完全にキャパがオーバーして、自分の基本を忘れてしまっていたようです。 仕事もそう。 いくつかの到達点があって、同時進行が年々増え、全部の仕事を目の前にすえると気が遠くなる。 到達点が自分におそいかかってくるかんじ。 倒れる一ヶ月くらい前から、実は自称プチ家出を数度となく繰り返していました。 といっても近所のモスとか安カフェ(ドトールみたいなの)に本もってコーヒーのみ終わるまでの30分くらい過ごすのです。 前兆だったのかもしれません。 たぶん自分の根っこにあるのは、自分の理想に対してすごく完璧を求めるところ。 でも器用ではないがため、ストレートに、早く、思ったとおりにできない。 そこにすごいストレスを感じてしまうのだと思います。 そして、選択肢の多い現代に、私のような単細胞は実に生き辛いのかもしれません。 全体を見て、合理的にやれる人もいると思います。 でも、私はできない。 そこを認識して、自分を追い詰めないようにできたらいいなと思います。 だから、 「見えたとこから。 手に取ったものから。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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