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アラビア書道とその周辺

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2011.08.18
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お盆も終り、8月18日からお稽古が始まります。
青春18きっぷがまだ余っているので、これを使うことも兼ねて少し旅に出ます。

名古屋のお稽古が木曜日の朝にあるので水曜日夜までに名古屋に到着するように大回りで、且つなるべくJRの鈍行に乗って名古屋に向かうよう計画しました。

今回のルートは、高崎から信越線に入り、横川まで行き、そこから軽井沢までバスに乗って、しなの鉄道に乗り換え、篠ノ井まで行ったあと、篠ノ井線、中央線を通って名古屋に入ることにします。

天気は大快晴です。

大宮までは東京の通勤圏の感じで住居やマンションが立ち並んでいましたが、大宮を過ぎると高い建物が減り、郊外の風景が広がります。
吹上駅付近のお寺の看板に「近いから愛にゆける」というキャッチコピーの看板があった以外は特に面白いものありません。

熊谷の次が籠原ですが、結構この駅が始発の電車が多いです。
近くに熊谷操車場があり、多くの貨物車も停まっています。この駅が関東の通勤圏の北限のようです。

電車の扉は扉横にある押ボタンの「開」を押さないと、開かなくなります。このシステムが出てきたら、郊外に来たなという感じになります。

駅の近くにはJA士幌の倉庫がズラリとならんでいます。士幌というと北海道の地名ですのでここに北海道の物産が一時保管されるのかもしれません。

更に乗っていた電車の15両のうち、5両が切り離されます。

高崎駅で、現在は盲腸線となった信越線の電車に乗り換えます。
新幹線ができる前は信越線は横川から軽井沢を抜けて長野まで一本でつながっていたのですが、新幹線開業後は、横川ー軽井沢間は線路がなくなり、在来線では行けなくなりました。

横川の駅はきれいに改装されていてすっかりターミナル駅になっていました。駅前には大きな看板で「おぎの屋」が目につきます。駅弁の「峠の釜めし」で有名な店で、以前は横川駅で全列車が停まらねばならなかったため、駅弁が飛ぶように売れていたものでした。いまでも駅横の売店で釜飯は健在でした。

横川駅に全列車が止まった理由はここで機関車を増結する必要があったからです。
横川ー軽井沢間には碓氷峠という難所があり、急勾配が続くため、列車が単独では坂を登れないためサポートの機関車が必要でした。横川駅で山登り専用の電気機関車が待機していて、その付け替え作業に少し時間がかかりました。

さらにもっと昔は坂が更に急だったためアプト式という方法で列車は坂を登っていました。
スイスの鉄道によく見られる方法ですが、線路に沿ってギザギザの歯車を敷き、機関車にも歯車をつけて両者を噛み合わせながら走っていたのです。現在日本では 大井川鐵道井川線にまだ存在しているとのこと。

当時、横川と軽井沢は間は11キロしかないのに三十分近くかかった記憶があります。
今では新幹線が新幹線が一瞬のうちにトンネルを何も無かったかのように通過してしまいます。
軽井沢まで新幹線だと東京からでも一時間で着いてしまいます。

現在、横川から軽井沢まではJRバスが旧軽井沢道路経由結んでいます。
バスは観光バスのように補助席がついたものでした。まだ休みの人も多いためかほぼ満席です。くつろぎの里というバス停に止まったあとはひたすらS字カーブを登ってゆきます。途中碓氷湖が眼下に見えた後、トンネル跡がチラッと見え、その後に眼鏡橋と言うバス停に停まります(このあたり最近JRの宣伝に出ています)。
眼鏡橋とは煉瓦造りの橋梁で昔アプト式鉄道が走っていたときの建築物の名残です。

その後もバスはひたすら坂を登り続けます。
道路が狭いため、バスの後ろのついた車は追い越しができませんので、時々バスは停車して、後ろにつながった他の車を追い越させます。また対向車も時々止まらないとカーブではすれ違いも困難です。バスは路肩ギリギリを走ります。一応ガードレールはあるもののちょっと滑ると急な崖を落ちてしまいます。なかなかスリルがあります。

約45分かかってバスは軽井沢駅に到着します。一気に都会になります。

カーブのところには麓から順番に数字が書いてありましたが、軽井沢まで180以上の大小のカーブがありました。
軽井沢から横川に向かう場合、ずっと下り坂になるわけで、ブレーキをかけっぱなしで走行するため、それもなかなかスリルがありそうです。

軽井沢では赤トンボが飛んでおり、秋の気配がしていますが、日差しはまだ暑いです。
駅には多くの人が歩き回っていますが、新幹線の口の方のみでこれから乗ろうとする、しなの鉄道のホームの方はひっそりしています。

しなの鉄道はもとはといえばJR信越線の一部でしたので、青春18きっぷでも乗れたのですが、今は私鉄(第三セクター)ですので別途きっぷを買わねばなりません。
篠ノ井までまでは1400円です。

ホームには3両編成の電車が止まっています。
色は赤と黒く塗って私鉄電車の顔をしていますが、もともとJRの車両に色を塗っただけです。私鉄に乗ったと言う感じはなく、そのままJRに乗ったままの感覚で終点の小諸に到着しました。ここで乗り換えます。

小諸駅はJRの小海線の接続駅です。
「小諸なる古城のほとり....雲白く遊子悲しむ」と島崎藤村が詠った小諸城跡があります。中学校の修学旅行の時来たような記憶があります。

軽井沢での乗り換えに余り時間がなかったので昼食を食べる暇がなく、小諸の駅そばを昼食がわりに食べることに。信州はそばの産地ですが、残念ながら、駅そばの味は新宿駅とほとんど変わりありませんでした。

終点の篠ノ井駅はしなの鉄道もJRもおなじホームに停車するため、乗降客にとってはほとんど区別がつきません。

少し乗り換えに時間があったので改札を出て町歩きをしましたが、あまりの暑さで15分ぐらいでギブアップです。

途中「テクノさかき」という変わった駅名がある以外は淡々と電車は篠ノ井に向かいます。
篠ノ井駅でJRと接続、JR篠ノ井線に乗り換え、一路松本方面を目指します。
途中の姥捨駅は全国的にもマニアには有名なスイッチバック構造の駅です。

姥捨駅付近は坂が急なため、本線の途中に駅を作ることができず、駅は本線から少し外れたところに作られています。
このため、電車が駅に停車する場合、上り列車は急な上り坂が続く本線から左側に分岐して水平に行き止まりの引き上げ線に入り、そこで進行方向を後ろ向きに変え本線を横切ってホームに入線します。発車時は再び進行方向を前向きに変え、本線へ進みます。このため電車は一旦駅を通り過ぎた後、反対方向に戻りながら駅舎に入ることになります(このあたりWikipediaによる)。特急などの通過列車に乗っていては確認できません。

電車が急にストップしてから何のアナウンスもなく反対方向に動くのですからオーバーランしたのではと一瞬思ってしまいそうです。
姨捨駅から眼下に善光寺平が広がり、景色が良いのでも有名な駅です。

松本からは二両編成の電車になります。でも電車はかなり新しく新車特有のにおいがします。
中津川まで中央線を各駅に停まります。車内放送は録音でワンマンバスと同じシステムです。駅員のいない駅では客は前の車両からしか乗降できません。

木曽福島で学生がどさっと乗り込んで来ました。狭い車内はいっぱいです。

薄暗い中、景勝地の目覚めの床を走ります。雨が降った跡があります。周りの山々は少し霧に煙ってなかなか風情があります。

大桑駅で生徒が大量に下車しました。

中津川駅からはもう完全に中共圏に入ります。
電車の扉も停車する度に自動的に全開します。
餃子の王将の看板が遠く道路沿いに見えます。

名古屋に20:30到着とほぼ定刻通り到着。
約半日電車に乗り続けたことになります。その間、ほとんど電車の遅れはなく、当初の予定通りに名古屋駅に到着しました。いつも思うことですがさすがに日本の鉄道の正確さは凄いです。

これだけ乗れば、充分、青春18きっぷのもとは取れたと思います。

横川~軽井沢バス
しなの鉄道の電車(軽井沢駅)
たまご入りそば(小諸駅)
姨捨駅





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最終更新日  2011.08.21 10:18:32
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