1862815 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

アラビア書道とその周辺

アラビア書道とその周辺

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

2021.04.01
XML
カテゴリ:アラビア書道
3月30日に串本の大島に行ってきました。

目的はトルコ軍艦遭難地の訪問。

JR串本駅前からコミュニティバスで終点の大島にある樫野灯台口到着。バスはあちらこちらの集落を回ってゆくので、40分以上かかります。直行すれば20分もかからないと思います。

終点の樫野灯台口から歩いてすぐのところに慰霊碑、記念館、トルコ民芸店、灯台があります。

ここは1890年、明治時代、トルコの軍艦が遭難し500名以上の犠牲者が出た場所です。

トルコ記念館には、当時の様子を説明、拾得物、映画のロケシーンの映像などが展示されています。その中にトルコ大使からの感謝状がありました。それがディーワー二書体で書かれていました。

トルコが文字改革を行なったのが第一次世界大戦後だったので、当時はまだアラビア文字がトルコ語(オスマン語)に使われていました。なかなかの達筆です。

( なかなか味のあるディーワーニ書体で書かれた感謝状)

それより、大使クラスになるとディーワーニ書体が普通に書けていたことが分かります。

また、別にトゥグラー(スルタンの署名)入った証書も展示されていました。
これにはトゥグラーのほか、スルス書体、ジャリー・ディーワーニ書体、ディーワーニ書体と様々な書体が見て取れます。

この勲章が授与された山田寅次郎という人物は、エルトゥールル号で亡くなった遺族のために義捐金を集めた後、トルコに渡りました。その義捐金を皇帝に手渡した後、20年間に亘り、トルコに在住し、日本語を教えたり、日本製品の普及に努めるなど民間外交をおこなったということで勲章が授与されました。



(山田寅次郎氏に贈られたオスマニ勲章証明書:上部にスルタンの署名(トゥグラー)、その右に小さくスルス書体、更にその下にジャリー・ディワーニ書体、本文はディーワーニ書体)

串本でいろいろな書体に出会うとは思っていませんでした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.04.20 21:52:37
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X