カテゴリ:女神のレシピ
「一番大切なものをただで差し上げる」
「ギブアンドテイクではなく無償で与える」 こんなテーマについて考えますと 思い出すことがありますね 小さいころ、毎日保育園まで歩いて送ってくれた母 年長になって、その日は忙しかったのか途中で帰ってしまった母 不安で、泣いて、泣いて 振り返ると、朝日にシルエットになった母の日傘が 忙しくゆれていた 小学一年の父親参観日 お弁当が要ることを知らないでいた私は 父親が試食するはずの給食を食べた 何年もしてから、あの時お父ちゃんはおなかが減らなかったのだろうか? と思うと涙が出てきた 私がしてあげることは、その小さな頭では何も思いつかなかった 思い出すことも少しあり 忘れていることもたくさんあり 両親から無償でいただいていることだけは背負っていて その記憶は残っているのですよね もらいっぱなしにはできない、という「借り」の感覚があって 感謝と言ってもいいけれど それを何とか返せないものかと思ったときに 子供を自分が育てて、貰った愛を流していくしかないのかな 子供が苦手なにけえが子育てを始めた理由は、実はそれなのです 思い起こすとそうなのですが 案外、「愛の法則」がそこに埋まっているかも・・・ 与える、差し上げる、笑顔でも物でも考え方でも 何かを人に譲るとき そこには暖かい流れがあります 形の違いはありますが 愛 と言ってよいものが、その贈り物の中に大事に仕舞われている 受け取ってとてもうれしくて 直接相手に何かお返ししたいという思いが 人の性質の中に埋め込まれているのですかね? 誰しもそう思います 直接相手に返すと、その「わけ」が生じます 愛に理由がつきます 親から子へ流れる愛はさらに孫へひ孫へ流れていって 流れきる 流れる愛 賢者夫婦の場合 互いへの親愛が、互いの愛の器を広げあうという 形の愛でした この夫婦は愛の器が大きいので その後たくさんの子供を立派に育み それでもあまって、大きな社会貢献をしたのだろうと想像します ジャンヌ・ダルクは一番大切なもの 命を神に捧げました 最後には処刑されたのですから、本当に捧げっぱなしのお仕事を されたわけです フローレンス・ナイチンゲールも やはり、神の召集を受け 一番大切な人生全部を捧げる仕事をしました 生涯結婚もせず、戦場の最前線に立ち弱い立場の人々を救い 正しい政治がなされるよう最晩年までその知恵の限りを尽くしました 捧げっぱなし、尽くしっぱなしは 割が合わない 「妥当」ではない 損な役回り そう感じますか? ナイチンゲールのごとく 「心を尽くして主を愛したい」 M夫人はそう思いました 軽い気持ちで 「今もっている余力で、後世の人々お役に立てることがあれば」 なんて考えて ところがどっこい 心の奥の奥から沸きあがってきた響きは ご想像通り 一番大事なものを差し出す でしたので、当然その響きに対してお断り申し上げたのでした しかし、やはりどうしてもその響きが止まらない 消しても、ドアを閉めても、蓋をしても、寝てもさめても 蓋を開けてその響きがやってきます そしてとうとう決意します M夫人のポリシーは「大事なことは夫婦で」 そこからご主人と二人三脚の成就への旅が始まります 旅は思ったより長くかかります 長いとやはりくたびれますから・・・ けれども長かったお陰で、いろいろな知恵を得ることができました にけえは自分が経験しないでも、知恵だけいただけるなんて 本当にお宝のおすそ分けだと思います ありがたい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 10, 2010 11:29:30 AM
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