筆まめだといいことあるかも!!
平安時代の終わり以降、熊野大社にお参りすることがブームになります。 ただ、京都から熊野までで、江戸時代に宿場制度もない時代ですからとても時間がかかります。 所要時間は時代と共に短くなっていくのですが、初めの頃は1ケ月以上、のちにも20日はかかっています。 何度もお参りしちゃった人も多くいました。 特に字の書ける貴族は当然お参りすると日記に「旅行記」を書くわけで、それが当時の旅行を知る大事な資料となっています。 百人一首の撰者、藤原定家も日記に書いていますが、そんな中、筆まめで「中右記」という日記を残した藤原宗忠という人の日記から熊野参りのある一コマを紹介します。 当時は今の峠を上り下りする超ハードな旅でした。そんな中、宗忠が岩上峠に差し掛かった時、ある盲目の人が倒れこんでいました。 宗忠は話を聞くと「食糧がなくなり動けなくなった」と。宗忠は食糧を恵んでその盲人は助かりました。 という内容です。宗忠が自分で書いて現在まで残っています。 歴史学的には熊野大社は当時では「穢れ」とされていた障害者も参詣できる神社だったということです。 この盲人がどこからきて、どこへ行ったのか、宗忠の日記にはないのでわかりません。 でも、この岩上峠、今ではトンネルがくり抜かれ車で軽く通りにけられますが、通るたびに宗忠と盲人のことを考えてしまいます。車を止めてしばし峠を眺めていると熊野から帰るバスに多くの高齢者が乗っていました。「いい時代になったな~」と思います。昔は命がけでしたから。 写真が岩上峠です。この山の奥に熊野大社があります。写真右側に世界遺産の「熊野古道」があり、細い道が今でも峠を越えています。