宗教をやらないわけ
宗教をやっている人を否定するつもりはないのですが、私は今現在宗教をやるつもりはありません。自分の外側で道を示してくれることは安心感がありますし、絶対的な思想の下にいることは強さにも繋がるでしょう。ですが私がやらない理由は、ある思想のなかに自分を入れてしまうとその枠内でしか思想を保つことが出来なくなると考えるからです。例えばある宗教の勧誘で思想を持ち出されたとして、禅問答のようにチンケな私の思想など正論で返すことがほとんどの宗教は出来るでしょう。ただ、仮にその宗教に入って暫くし、考え方に違和感やズレを感じても否定できなくなってしまう、もっと言えば入る前は気がついたことでもその思想にどっぷり浸かり、疑問にも思わなくなってしまうかもしれません。考えを教えられるのはいいのですが、否定も出来ない状況、思想を統制されることに恐怖を感じます。ある年配のミュージシャンが宗教を一つにすれば世界平和に繋がると言っていましたが、それほど怖いことは無いと思います。ある思想の中でしか考えられないことは成長もないですし、思想にバランスがとれず、良くない方向にいっても誰も止められなくなってしまうと危惧します。違う思想を持つことは悪いことではありません。その一片として戦争という現象があるかもしれませんが、多くは練り上げて成長していきます。言葉も全世界英語ならいいという人が稀にいますが、言葉とは現象をあらわしますから、あらゆる文化を作ります。これも他国との違いから成長するきっかけになっています。このような理由で宗教はやらないですが、評価できることもあります。仮に宗教が今までなかったら統制がつかずもっと争いは多くなっていたかもしれません。また現に救われている人も多いです。ただ、私は今の段階では勉強をするくらいにとどめておきます。