人は何で生きるか
春分を迎えました。早くも桜の開花の地域もありますようで・・・。昨日、つれあいの読書会の次回の課題図書が机の上にあって・・・ふと取り上げました。わー字がちっちゃいよ・・・ネットで購入した古本でしたが、昭和48年版とありました。ぱらぱら・・・この題名、昔、我が家の三人息子達が子供のころ、福音館だったかの児童文学で買ってあげたことがあるような・・・ってことは、家に読みやすい本があるはずだよって話をしましたが、岡山には持って来てないような・・・だね。どこを探してもないですから・・・つれあいには、この文庫本の文字の小ささ、ギブアップのようでして、買い直さなきゃってことでした。パラパラ・・・私も昔、息子たちと一緒に読んだ記憶があるような・・・懐かしい。「人は何で生きるか」(トルストイ)パラパラ・・・あ、2番目のお話の題名「愛のあるところには神がある」うん、これって先日、映画で観た「レ・ミゼラブル」の最後の場面、一気に目に涙が溢れた字幕の訳そのものではありませんか・・・。直感的にシンクロを感じ、わあ・・・これ読んでみたいです、お先に読ませていただきます。ちょっと読んで、すぐに記憶が蘇りました。息子たちが小学生の頃、家の近くの教会の日曜学校に通っていて、ある年のクリスマス会に、私も同行したときに、観せていただいた人形劇の映画が、このお話だったなってこと・・・今もはっきりと主人公の靴屋のマルティンおじいさんの顔が浮かんできて、いいお話だったなってほっこりして息子たちと帰ってきたのでしたっけ。私はクリスチャンではないから、初めてだったのですが、こうして、あれから25年ほどの月日が流れ、このお話を再度、今の私にプレゼントして下さった神様に感謝です。それから、お夕飯の準備までの間に、すべてのお話を読み上げました。子供達と読んだときも感動した記憶はありますが、今の私になってもう一度、読み直してごらん、って言うメッセージだったのだなって。勿論、「愛のあるところには神がある」をくりかえし、くりかえし、胸に刻み、安らいでる私の心は、いっそう安らげましたし、最後に残してじっくりと読んだ「二人の老人」私もこういう生き方がしたいな、境地としては近づけてもいるようでとっても嬉しいな・・・「三人の息子」のお話もまた、享楽でも自我意識でもない三番目の息子の相続のあり方・・・アベノミクスの今の日本にあっても、このお話の普遍性は通じるものがあり、神様のご意思なのだなって思います。とまれ、このお話と今、再会できましたことに感謝です。