法政・木戸克彦、和田護
昨夜、このブログを書きながらケーブルTVで「スカイA」を見ていた。元阪神の湯舟敏郎氏(大阪・興国高-奈良産業大-本田技研鈴鹿)が司会を務め、阪神の新人選手らを招いてトークをする番組だった。そして、湯舟氏とともにソファに深く腰掛ける、ホスト役の「頭の禿げ上がった」オジサンが、ゲストの選手にモノを申していた。わりとハッキリとした物言いをする人物。いったい誰だ、このオジサンは?しばらく考えていた。すると「ね、キドさん」と、湯舟がそのオジサンに語りかけた。キド・・・木戸・・・木戸克彦??? えっ~? 学生時代、神宮で大学野球をよく見た。その学生の頃の、木戸と法政大野球部のことを思い出した。当時は、ちょうど法政が全盛の頃。たしか打順はこんな感じだった。1番 銚子利夫 (市立銚子高。卒業後、横浜)3番 西田真二 (PL学園高。卒業後、広島)4番 小早川毅彦 (PL学園高。卒業後、広島)5番 木戸克彦 (PL学園高。卒業後、阪神)このオーダーはとてつもなく強力であり、とりわけ木戸はシュアな打撃と、並み居る投手陣をリードする女房役としても活躍。なんとベストナインを5度も獲得していた。 おもな投手陣。田中富生(愛媛・南宇和高。卒業後、日本ハム)川端順 (徳島・鳴門高。卒業後、東芝-広島)池田親興(宮崎・高鍋高。卒業後、日産自動車-阪神)卒業後にプロへ進んだ投手は多いが、当時の実質的なエースは和田護(日大藤沢高)という、童顔で小柄な投手だった。たしか背番号は「17」を着けていた。和田と木戸のバッテリーが当時お決まりで、テレビで木戸の顔を見て、和田のことを思い出してしまった。和田のこと、さっそく調べてみた。和田護。大学時代、通算30勝をマークするなど4回のリーグ優勝に貢献。ベストナインにも2度輝いている。卒業後は日産自動車に進み、都市対抗や日本選手権に幾度も出場していたらしい。31歳の時に現役を引退、翌年の99年から04年まで法政大野球部の助監督。04年からは日本文理大付高・野球部の監督に就任している。和田投手の消息、20数年ぶりに知った。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。