西本聖vs江川卓
高校野球の名門・松山商高を18年間も率いた澤田勝彦さんという有名な監督(06年9月辞任)がいる。『メンタル・コーチング』(織田淳太郎著、光文社新書)という書籍を読んで、澤田さんの確固とした信念に基づく指導法を知った。------------------------------------------------それは、「決してスター選手を作らない」こと。言葉を換えれば、「個人を特別扱いしない」こと。例えある選手が活躍して勝利しても、それは個人で勝ったわけではない。個人の力なんて大したことはない。だから決して個人を褒めることはしない。レギュラーだろうと、補欠だろうと、すべて一律の目で見ることに徹すること。その理由について、澤田さん本人が説明している。「私が最も危惧していたことは、選手が自分を特別な存在と勘違いしてしまうことなのです。スターに祭り上げられると慢心が芽生えてしまいます。そうなると、他の選手がその選手に頼ってしまうことがあります。結果、1×9=9にならず2か3で止まります」「部員全員が『オレは下手くそだ。だから我を忘れてガムシャラにやるしかないんだ』という気持ちをもつことで、大きな力が生まれるものだと思っています」-----------------------------------------------------その指導法が効を奏したのだろう。18年間の監督生活において、6回の甲子園出場と全国制覇(1回)を果たしている。96年夏に全国を沸かせた「奇跡のバックホーム」は、この指導法の賜物だったといえる(詳細は後日)。澤田さん、こういう考え方に至ったのには、自身の高校時代の苦い経験がある。松山商高の同級生に西本聖(元・読売)がいた。この西本、高校入学後すぐの春季予選でさっそくマウンドに立ち、四国大会でいきなり優勝する離れ技を演じてしまう。周囲は色めき立った。「これで5季連続で甲子園は間違いないな」と。だが、結論から言うと一度も甲子園の土を踏むことはなかった。西本べったりの監督、西本ひとりにオンブし監督の目を盗みさぼることしか考えなかった選手たち。選手間もギクシャクしハッキリ言って、チームはバラバラだった。-----------------------------------------------------73年、エース・西本を擁した松山商高は栃木に遠征し、江川卓(法政大)のいた作新学院高と練習試合を行った。西本、作新打線をたった2安打に抑えたものの、スコアは0-2で敗れてしまう。投打のアンバランスが象徴的に起きた試合だったと、澤田さんは述壊していた。決して選手を甘やかすわけでなく、かといって昔さながらに鉄拳をふるうわけでなく、冷静に選手に対面し「自我」を取り除く指導法は興味深い。ただ、ひとつ思い出したことがある。江川も後年、高校時代を振り返って言っていたことがある。「自分だけが浮いているような気がして、ほかの選手たちへの気配りを心がけた」。怪物・江川の作新学院も全国制覇することはなかった。スター選手のいる甲子園優勝候補のチームが、現実にはなかなか勝ち進めないのは、やはり前述した理由が影響しているのだろうか。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング