WBC与田剛コーチの高校大学時代
与田剛、現在、WBC日本代表の投手コーチを山田久志(能代高-富士製鉄釜石)とともに務めている。コーチとしての能力は未知数ながら、これまでNHKで続けてきたメジャーのテレビ解説は高く評価されている。1990年、自慢の快速球を武器に、中日に入団1年目から抑えの切り札として活躍。31個のセーブポイントを挙げる大活躍を見せ、新人王と最優秀救援投手賞を獲得した。だが、肩とヒジの故障に悩まされ、2年目は2S、3年目は23S、4年目は3Sと成績は急降下。以降は各球団を渡り歩かざるを得ない苦境に陥った。たいへんな苦労人なのだ。■96年シーズン途中にトレードで中日からロッテに移籍■97年オフ、ロッテを自由契約(解雇)■98年オフ、テスト入団した日本ハムを自由契約(解雇)■00年オフ、トライアウトで入団した阪神だったが、一軍での 登板はなく1年だけで現役を引退した(解雇)一年前、朝日新聞に元TBSアナだった木場弘子さんのインタビュー記事が掲載された。言うまでもなく与田剛の奥さんで、これまでの結婚生活を振り返る内容のものだった。プロ野球選手の妻としての苦労ぶりがわかり、ボクはその内容を今もよく憶えている。見出しは、「新人賞の栄誉と、1度の移籍と、3度の解雇」だった。「プロ野球選手の夫人は、とかく栄養や料理が大切と言われます。もちろんそれは大事なことですが、もっと大切なことがあるんですよ。それは、夫のメンタル面のケアなんです」そして、「どれだけ夫のメンタル面をささえてあげることができるか? それが重要です」と木場さんは話していた。プロ野球選手、言葉を変えれば「明日の保証がない自営業」であり、「毎日が勝敗の決まる勝負師」でもある。だから、ご主人(選手)は常に大きなストレスにさらされていて、夫人の気苦労も相当なものなんだろう。いま、的確な解説で評価を得ている与田、これまでの「夫婦物語」が陰にあったのだ。与田剛(木更津中央高-亜細亜大-NTT東京)。<木更津中央高時代>■チームメイト■後にプロ野球に進んだ選手はいない。■千葉県内のライバル■芝浦工大柏高に小宮山悟(現・ロッテ、早稲田大)、一学年下には拓大紅陵高の小川博文(元・オリックス)がいた。■甲子園のライバル■甲子園に出場していない。与田が高校3年だった1983年夏、全国制覇したのは桑田真澄(1年、元読売)や清原和博(1年、元読売)のいたPL学園高だった。<亜細亜大時代>故障がちで4年生になってから1勝を挙げたのみ。■チームメイト■一年先輩に阿波野秀幸(元・近鉄、横浜市立桜丘高)、パンチ佐藤(元・オリックス、武相高)。二年先輩には古川慎一(元・ロッテ、春日部工高)がいた。■東都大学リーグのライバル■駒澤大・野村謙二郎(元・広島、佐伯鶴城高)らがいた。■全国大学のライバル■立教大・長嶋一茂(元・読売、立教高)、矢作公一(元・日本ハム、立教高)、慶應義塾大・志村亮(桐蔭学園高)、立命館大・古田敦也(元・ヤクルト監督、川西明峰高)、明治大・武田一浩(元・日本ハム、明大中野高)らがいた。 ぜひ1クリックをお願いします