高校野球と新聞拡販競争
前回の続き。■1915年(大正4年)に始まった全国中等学校優勝野球大会(朝日新聞社主催)、そして1924年(大正13年)に始まった全国中等学校選抜野球大会(毎日新聞社主催)は、朝日・毎日両新聞社の拡販競争の中で産まれた「産物」ということもできる。1923年(大正12年)に起きた関東大震災も両新聞社に好影響を及ぼしたが、全国規模の中等学校野球大会を開催したことが部数拡販の直接的な要因になり、直後の昭和初期には2社の寡占状態が生まれた。※関東大震災の影響・・・東京在来の「報知」「時事」「国民」各新聞社が壊滅的な打撃を受けたのに対し、大阪に基盤を置いていた朝日・毎日の拡販には(全国拡大といった意味で)好影響を及ぼした。■また大正末期から昭和初期にかけて春・夏ともに大会の大規模化に拍車がかかった。例えば夏の大会でいえば、第1回大会の全参加校が71校だったのに対し、第14回大会には参加校が410校にまで参加校が拡大した。1921年(大正10年)の大会からは満州、朝鮮、そして1923年(大正12年)から台湾でも予選が始まった。下表【朝日・毎日 部数比較表】は『甲子園野球と日本人』(有山輝雄著、吉川弘文館刊)の75頁、147頁に記載されていた表を「あま野球日記」が編集・加工したもの( - は不明の意)。朝日は1915年から大会を主催した。残念ながらその当時の統計はなかったが、1920年台半ばに部数が急拡大しているのがわかる。また毎日は1924年から大会を主催したが、こちらも6年後の1930年には70万部強の部数を増やしている。※尚、毎日新聞の部数は元旦の数値であるため、通常の部数はもっと低かったと思われる。【朝日・毎日 部数比較表】 朝日新聞毎日新聞 ※朝日新聞の内訳※毎日新聞の内訳 大阪朝日東京朝日大阪毎日東京日日1915-- ----1916-- ----1917-- ----1918563,820- 342,386221,434--1919564,654- 341,300223,354--1920626,120- 376,032250,088--1921736,509- 444,552291,957--1922837,600- 562,700274,900--1923874,748- 585,284289,464--19241,100,1951,800,085 689,974410,2211,111,459688,62619251,176,9001,945,652 754,373422,5271,221,138724,51419261,214,5202,018,345 782,709431,8111,230,869787,47619271,440,0942,123,914 866,256573,8381,304,262819,65219281,476,2092,227,903 922,891553,3181,370,291857,61219291,553,8932,445,059 966,398587,4951,503,589941,47019301,681,7742,514,993 979,530702,2441,500,6091,014,38419311,435,583- 914,355521,228--19321,824,390- 1,054,021770,369--19331,885,923- 1,041,115844,808--19342,023,489- 1,138,482885,007--19351,810,936- 897,594913,342--今日も1クリックお願いします