広岡達朗と川上哲治の確執~「西武は、巨人に負けりゃよかった」
広岡達朗さんが書いた『監督論』(集英社インターナショナル刊)を読んだ。(その本筋とは関係ないけど)、広岡さんがロッテのGM、ボビー・バレンタインが監督だった1995年頃、現・慶應義塾大監督の江藤省三さんが一軍の守備・走塁コーチだったことを、ボクは初めて知った。広岡さんといえば舌鋒鋭い「批評家」といったイメージがあるけれど、落合博満の技術論に関してはとても高かった。落合が打撃論を語った本を読んで、大いに感心したことが理由だという。例えば「打席での”待ち球”」に関しての理論。広岡さんは次のように書いている。右投手と相対した時、どこに焦点を絞って待つかと言うと、インハイのストレートに対応できることを、落合はイメージするという。このコースに来る球が一番スピードが乗っているからだ。彼はその球を投手に打ち返すつもりでバットを操作すると説いた。落合のインコースをさばくフォームは、腕をたたんで窮屈そうに見えたが、振り切ればレフトスタンドへ打ちこんだ。身体が開いていないからファウルにならないのである。「引きつけて打て」「困った時はピッチャー返し」とコーチが言うセリフとは、次元が違うのだ。これは私が巨人時代に突き詰めようとして、ついに果たせなかったテーマだったのである。■また、広岡さんは川上哲治さんとの確執ぶりも有名。あちこちで似たような話を書いている。この『監督論』の内容も、それらとだいたい同じ。例えば「川上さんは守備がヘタ。打撃のことしか考えていない人」や、「米国キャンプに取材に行った際、川上さんに取材を拒否されたため、結局、評論家契約をしていたスポニチをクビになった」などの愚痴もあったり。そして「長嶋のホームスチール事件」(1969年)もあったけれど、それはあまりに有名な話なのでここでは省略。でも、西武の監督時代、日本シリーズで巨人を破って日本一になった直後に川上さんを表敬訪問した時のことを書いていて、それがとても面白かったので、以下に抜粋。川上さんは上機嫌で迎えてくれた。「おかげさんで巨人を倒してチャンピオンになれました」素直な気持ちでそう言った。帰ってきた第一声は、胸に突き刺さった。「負けりゃ、よかったがな」川上さんは続けてこうも言った。「お前たち(広岡、森)の西武はこれからも勝てるだろう。日本シリーズは藤田に勝たせてやればよかったがな」私は、巨人の監督があなただったらもっとよかったと口に出そうになった言葉を飲み込んだ。長居は無用だった。本当なら川上監督の率いる巨人を倒したかった、それが広岡さんの本音だった。「藤田」とは言うまでもなく藤田元司さんのこと。たしか歴史ある巨人軍において、川上さん直系の人だったと思う。※2019年12月9日に修正済。立川志らくの「男はつらいよ」全49作 面白掛け合い見どころガイド / 立川志らく 【本】大学野球2019秋季リーグ決算号 週刊ベースボール 2019年 12月 18日号増刊 / 週刊ベースボール編集部 【雑誌】