帝京・前田三夫監督「空気と戦い続ける男」
■今年の夏、帝京高は2回戦で八幡商高と対戦し、9回表まさかの逆転満塁本塁打を浴びて、予想外の敗退を喫した。その本塁打は、スタンドを埋めた大観衆が地元・関西の公立校、八幡商高を熱く応援する「空気」が舞いあがった打球をライトスタンドに強引に押し込んだように見えた。またそれは、私立強豪校への「判官びいき」といった、高校野球独特の「空気」とセットになって、八幡商高を強力にプッシュしたことが背景にあったようにも思えた。八幡 000 000 005 =5帝京 002 010 000 =3ボクがそう思ったのは、先日『白球と宿命』(日刊スポーツ出版社、2008年刊)を読んだことが少なからず影響している。この書籍には甲子園から生まれた6つの物語が収められていて、その一つが帝京高を率いる前田三夫監督に関する物語だった。 ■その前田三男監督の項のタイトルは「空気と戦い続ける男」 。この書籍によると、前田さんが戦う「空気」は主に2つある。それは(1)監督就任後からチーム内にあった「空気」と、(2)戦う相手以外の外的な要因(観衆、メディア等)から及ぼされる判官びいきに似た「空気」だ。(1)ボクは前田さんのことをほとんど知らず、せいぜいイメージできたのは強豪校の監督として順風満帆に指揮する姿ぐらいだった。でも監督就任後に歩んできた道は決して平たんではなかった。そもそも前田さんは帝京高OBではないし、選手時代(木更津中央高)は甲子園とは無縁だった。また進学した帝京大でもレギュラーポジションを獲れず、4年生になってたまたま系列の帝京高を指導に訪れたことが監督就任のきっかけだった。だからOBでもなく、選手として実績もない前田さんを支える環境が帝京高にはまるでなかった。さらに当時の帝京高野球部はお世辞にも甲子園を目指せるチームではなく、「甲子園を目指すチームを作ろう」と選手に発破をかけても、選手たちは鼻で笑った。めげずに熱心なスパルタ式の練習を施すと、待っていたのは選手たちの相次ぐ造反と退部。部員数がたった14名に減った時期もあった。すると次に訪れたのが帝京高OBたちによる監督排斥運動、監督としての能力にバッテンをつけられたのだ。悩みに悩んだ前田さんは、その後、勝利を積み重ねることが最高の解決策と信じ、スパルタ式の練習でより一層選手を鍛え上げた。そして結果を出し続けることで内部の様々な「空気」を跳ね返し、強豪校の仲間入りを果たした。(2)だがその後、今度は自分ではまるで制御不能な判官びいきに似た「空気」に晒されることになる。勝ち続けることが「勝利至上主義」と揶揄され、「勝つためならどんな手段でも弄する学校」とマスコミから数々のバッシングを受けたこともあった。また著者(山岡淳一郎さん)が「空気」の及ぼす象徴的な試合として例を挙げたのは2007年夏の甲子園、準々決勝。帝京の相手は「文武両道」を掲げる公立の佐賀北高。延長12回、一死一・三塁の場面で帝京はスクイズを敢行した。本塁に突入する三塁走者を見て、著者の山岡さんは明かにセーフに見えたが、審判のジャッジは「アウト」。これも判官びいきに似た「空気」だったと書いていた。今大会、初戦で震災の被災地・岩手代表、花巻東高を接戦の末に下した。前田さんは勝利監督インタビューで「被災地の、甲子園に出場できなかったチームの分も背負って、次戦以降も勝ち進みたい」と抱負を語っていた。だが、その後対戦したのが冒頭の八幡商高だった。判官びいきの「空気」を跳ね除ければ、敗戦校の「空気」までを背負う。そして再び新たな「空気」をもつ高校と戦う・・・。空気と戦い、新たな空気を背負って次の戦いに挑む・・・。その繰り返しが強豪・帝京高の宿命になっているように見える。前田さんは今大会で甲子園通算51勝を挙げた。今後も「空気」を跳ね除け、一つずつ勝利を積み重ねて行くことを期待したい。今日も1クリックお願いします