1972年、王貞治118メートルの遊飛を打つ!?【大和球士著『野球百年』を後ろから読む】
前回の続き。1972年、野球マンガの連載が次々に始まった。「キャプテン」(ちばあきお、別冊少年ジャンプ)、「ドカベン」(水島新司、週刊少年チャンピオン)、「野球狂の詩」(水島新司、週刊少年マガジン)。66年に始まった「巨人の星」(梶原一騎、川崎のぼる、週刊少年マガジン)が野球マンガの第一世代だとすれば、「ドカベン」や「キャプテン」はそれに続く第二世代と言えるかもしれない。当時、ボクは小学生だったけれど、自分も、そしてまわりの友人たちも、遊びといえば、即ち野球しかなかった時代。数多くの野球マンガが登場するのも必然だった。■当時、野球少年たちの憧れの中心は長嶋茂雄と、王貞治だった。どこかコミカルな長嶋は、マンガにもなりやすいキャラクターで、ボクらにとって身近な存在といえた。しかし、王はどこかとっつきにくい選手に思え、長嶋と比べて距離を感じてしまう選手だった。72年、王は7試合連続本塁打を放ち日本新記録を達成するなどして大活躍した。一方で、とても珍しいプレーも演出した。それは 日本シリーズ、対阪急1回戦のこと。このプレーについて、大和球士は「118メートルの『遊飛』とは!」と見出しをつけて詳細を書いた。以下に引用。3回表、高田左飛。次打者は1回に長打した王だ。左ボックスに立った時、スタンドがざわめいた。それも異常のざわめきであった。阪急守備陣が、変わったシフトを敷き終わったからである。-内野手3人、外野手4人の守備陣形をとった。内野手陣形、一塁手加藤、二塁手住友はほぼ日ごろの定位置。三塁手森本(潔)が遊撃手の定位置よりもかなり二塁ベースに近く守る。したがって三遊間はガラあきとなる。では、名遊撃手大橋(穣)はどこへいってしまったか。外野陣形、左翼手ソーレルが、中堅手の右打者に構える位置にあり、遊撃手大橋が、中堅手が左打者に備える守備位置をとり、それも思い切って深く、スタンド前のアンツーカーのほんの一歩前辺り、その右側に中堅手福本、右翼手長池は、右翼ファウルライン近くに構えた。・・・王は困った顔も見せず、フルスイングした。打球は大きくそして伸びてセンターの上空へ。三塁打か。さにあらず、遊撃手大橋の待っている正面に飛んだ。大橋は半歩下がり、アンツーカーに両足を入れてがっちりと捕球した。センター後方、ほぼ120メートルの塀のすぐ前で捕球したのだから、-118メートルの遊飛であった。 (以上、『野球百年』)■王について、山藤章二さんが『スポーツ20世紀 プロ野球スーパーヒーロー伝説』(ベースボールマガジン社)にコラムを書いていて、それがとても面白かった。以下に引用(写真も)。僕は、大選手には愛される選手と尊敬される大選手がいると思う。前者の代表が長嶋だし、後者の代表が王。尊敬される選手というのは、面白みには欠ける。漫画家・いしいひさいちは残念ながらON時代に間に合わなかったけれど、彼なら王をいかにして描いたか。彼は田淵幸一も安田猛も徹底して茶化したでしょ。天才いしいひさいちなら、王というキャラクターの中に人間的な可笑しさをどう描いたか、とても興味がある。 (以上、『スポーツ20世紀』)なるほど。いしいひさいちは広岡達朗さえも笑いに変えた。可笑しな、クスッと笑ってしまう王というのを見てみたい気がする。いまなら、それをだれに期待しようか。漫画家のことはわからないけれど、奇才バカリズムなら、面白おかしく演じてくれるかもしれない。山藤さんのコラムを読んで、ふと、そんなことを思った。