プロリーグ中断の1945年、乗り越えて【大和球士著『野球百年』を後ろから読む】
■昨日付けの朝日新聞には『とにかく野球がしたかった、プロリーグ中断の1945年乗り越えて』という特集が組まれていた。この中で、ボクが最も注目したのは左隅の年表だ。1945年11月の欄にはこんな記事があった。「日本野球連盟の復活を決定。神宮球場などで、復員した選手を集めた『東西対抗戦』が4試合行われた」。そーだ、そーなんだ。翌’46年に復活したリーグ戦を重要視するムキもあるが、それよりも終戦からたった3ヶ月で東西対抗戦が開かれた意義のほうが遥かに大きい・・・ボクはそう思うのだ。 ■大和球士さんも『野球百年』(時事通信社)で、こんなことをおっしゃっている。「戦後初の試合は11月23日に神宮球場で行われた東西対抗戦であった。出場した選手たちも球をにぎり、バットを振ってやっと2日か3日ぐらい、練習不足は申すまでもないが、この試合には新鮮な息吹きが感じられた。プロ野球は復興する。復興の前奏曲であった。序曲でもあった。前日の雨はすっかり晴れあがり、あくまで秋の空は澄みわたっていた。あたたかく、無風。絶好の野球日和であり、プロ野球の前途も、この日の大空のようであろうと思われた。大吉の占いが出たようであった。試合の内容など論じる必要はない。終戦後3ヶ月で野球試合をやれたことに感謝しなければなるまい」。 「復興・・・前奏曲・・・序曲」の繰り返し、そして「大吉の占い・・・」。感動のあまりか? めずらしく大和さんの文章が弾けている(^_-)-☆