【甲子園2016春】智弁学園を初優勝に導いた小坂将商という「ひと」。
今日行われた決勝戦は、智弁学園が高松商を下して初優勝した。智弁・小坂将商(まさあき)監督は、優勝後のインタビューで「あまりにしんどい試合で、優勝が決まったら泣くかと思っていましたが、泣くどころか、思わず笑ってしまいました」。伏し目がちに関西弁で訥々と話す語り口はいつもと同じ、優勝を決めた後もそれは変わらない。まさに「しんどい試合」だった。併殺崩れで1点を先制して逃げ切りを図るも、8回に同点に追いつかれ延長へ。その後も一進一退の攻防が続き、ついに延長11回裏、走者を置いてエース・村上頌樹が中越え適時打を放ってサヨナラ勝ち、優勝を決めた。小坂は勝因に村上の頑張りを挙げる。今大会の全5試合をすべて投げ抜き47イニング、669球、失点はたったの「3」。変化球を注目されるが、伸びのある直球を低めに集める投球術も光った。初優勝に導いた小坂自身も智弁OB。平成7年夏に主将として甲子園出場し、高岡商、青森山田を下して準々決勝は福留孝介擁するPL学園を8-6で撃破するも、準決勝はエース・山本省吾のいる星稜に1-3で惜敗した。卒業後もアマチュア野球界の王道を歩み続ける。法政大に進学すると安藤優也や廣瀬純らとともに3度のリーグ優勝。4年時には主将も任され、ベストナインに2度選出された。ポジションは外野手。その後は松下電器に進みプレーを続けた。転機は平成17年に訪れた。智弁野球部コーチに就任すると、同年12月、それまで監督だった上村恭生氏が急逝し、すぐさま監督に昇進した。当時、上村氏の息子・恭一が野球部に在籍しており、「恭一を甲子園に連れていく。それが上村氏への恩返し」と心に誓った。そして一年半後の平成19年夏、その目標を果たす。甲子園に出場し、初戦(尽誠学園戦)の7回、背番号「13」をつけた恭一を代打でバッターボックスに送り出した。その時、小坂の思いを知る人々はスタンドから大きな拍手を送り、目標成就を祝った。そして勝利を決めた後「言葉で言い表せないほど嬉しい」と、この時も訥々と語りながら笑顔を見せた。朴訥な人柄、それが小坂への印象だ。高校野球監督には能弁な人も多い。星稜・山下智茂、帝京・前田三夫、そして今大会で注目された秀岳館の鍛治舎巧監督も。小坂は彼らの対極にいるが、能弁に語らずとも実行する。今大会も「日本一になる」ことだけを目標にし、今日、見事に大輪の花を咲かせた。(写真)優勝インタビュー、智弁学園・小坂将商監督。NHKより。