【2018近鉄バファローズ】楽天・梨田昌孝氏の電撃辞任で思うこと
今月16日、楽天・梨田昌孝監督が電撃辞任しました。まったく突然のことで驚くばかりですが、その原因について様々な記事がネット上に溢れています。NHK解説者への返り咲きを狙ったものであるとか、コーチや選手から総スカン状態で監督とは名ばかりの状態だったとか。とりわけ興味深かったのは「データ野球に押しつぶされた」という類のもの。それは、楽天球団にある「チーム戦略室」という部署が大いに関係している。選手起用にあれこれ口を挟むオーナーに対し、合理的に説明するためデータ活用することが部署のミッション。これまで62試合で56通りの先発オーダーがあったのは、このチーム戦略室によるものだとか。一方の投手起用は佐藤義則コーチが仕切っているため、梨田さんがやることはなく、ただのお飾りに過ぎなかった・・・。これでは「えーい、辞めてやる!」と言い出しても、むべなるかな。そもそも2011年まで監督を務めた日本ハムの辞任発表も唐突でした。ここはデータ重視の「ベースボールオペレーションシステム」(別名BOS)で知られた球団。一人ひとりの選手を誰もが把握できるよう数値化し、「レギュラー」「控え」「育成」そして「在庫」に区分し、一方で控えの選手が試合出場する確率を7%と設定して、それに見合ったコストパフォーマンスを求める。要は一軍であっても二軍であっても一年をとおして試合に出場可能な選手だけに投資を絞り込み、いわゆる「不良在庫」は極力排除するという発想です。このことを理解できる人でないと日本ハムの監督は務まらない。梨田さんは日本ハム、楽天の監督時代、自身の思い描く監督像を体現できたのだろうか? と思います。選手時代に西本幸雄監督や仰木彬監督に仕えてきました。どちらも尊敬する師と公言しています。が、どちらかというと西本さんの影響を強く受けてきたものと推測します。西本さんが阪急監督を辞めて近鉄監督に就任した際、「お前たちを指導するために近鉄に来たんだ」と声をかけられた3人。梨田、栗橋、羽田。「梨、栗3年、羽田8年」を合言葉に徹底的にしごいて球界を代表する選手に成長させた西本手腕。梨田さんは西本さんの姿を、自身のあるべき監督像として描いていたはずです。自身でチーム方針を打ち出し、その枠の中で選手を育成し、戦術を立てる。一方、方針にそわない選手には鉄拳も辞さないといった・・・。もしそうならば、データ野球全盛のいま、そもそも梨田さんが監督であること自体が矛盾を抱えていたのかもしれません。ここ数年、たまにテレビで見かけるとき、近鉄時代と違って表情が曇って見えたのは、そんな事情があったからかな? 今更ながらそんなことを思います。 近鉄バファローズ猛牛伝説の深層 (追憶の球団) [ 梨田昌孝 ](写真1)『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ) 『近鉄バファローズ 猛牛伝説の深層』(ベースボール・マガジン社)(写真2)故・西本幸雄監督~『近鉄バファローズ大全』(洋泉社、以下も同じ)(写真3)2001年、近鉄バファローズ最後のリーグ制覇、梨田監督の胴上げ(写真4)梨田のコンニャク打法は西本監督への反抗心から生まれた?