1957年、空前の人気男長嶋【大和球士著『野球百年』を後ろから読む】
1957(昭和32)年、長嶋茂雄がセ・リーグの巨人入りを決めた。 長嶋は佐倉一高から立大へ進んだ選手で、立大時代に神宮球場で8本のホームランを記録して、慶大の宮武三郎と早大の呉明捷が保持していた六大学野球リーグ戦の最多ホームラン記録7本を破ってからは、全プロ球団からマークされ続け、最後には南海と巨人が激しくせりあい、ついに巨人が射落とした大物選手であった(『野球百年』より)。 翌1958年、巨人の開幕戦は、4月5日、対国鉄(現ヤクルト)戦だった。長嶋は3番サードで先発出場した。相手投手は、のちに400勝投手となる金田正一。長嶋対金田、いまも語り継がれる名勝負である。去る10月6日に亡くなられた金田さんの追悼番組、NHKアーカイブ『この人・金田正一ショー』(1985年制作)には、2人がそれぞれこの場面を振り返るインタビューがあった。 まず長嶋。「1回裏、(1番の)ウォーリー与那嶺がタターンと三振する。(2番の)広岡さんがトトーンと斬られる。もう2アウト。あっという間に2アウトを取られて、自分の打席が回ってきました。自分は絶対に三振をしない、負けるものか!と打席に入ったのですが、結果は三振になりました。・・・初球はインサイド高めの球でした。その胸元高めにパッと入ってきた速さは、想像を絶するものでした。・・・バットを振れども振れども空を切ってしまいました。しかし、自分でも納得できた三振でした・・・」。 一方の金田も、長嶋の一打席目を振り返る。「金田は(長嶋に)打たれろ!と書き立てた世間様に、いい加減に腹が立っていましたから、いっぺん目にものを見せたろ!と思っていました。こんな速い球を見たことあるかい?と驚かせてやろうと思ってましたよ。1球目が(直球を)バーンと行って驚かせてから、2球目は内角低めにカーブを投げた。これを長嶋が見逃して2ストライク。普通なら2球目も直球で行ったほうが良いかもしれないが、あらゆる球種を見せておきたかった。2ストライクを取らないと三振を取れないからね、ピッチャーは。3球目は高めに外れたが、狙ったのではない。ストライクを取りに行ったら、球が伸びたの。155kmぐらいのスピードがあるとストライクを取るのが難しい(笑)」。 そして4球目は内角高めの直球。長嶋のバットは空を切り三振を喫した。「長嶋は難しいことを考えない選手。ただただホームベースの上に来た球を叩く、叩いたら飛ぶということしかないから、どんな球でも喰らいついてくる。そして信じて打ってくるから。振り幅の速いこと。空振りすると音が聞こえますよ、ビューンと。よくこんなに思い切って振れるものだ!と感心しました」。 「たられば」は禁物だけど、もしこの日に長嶋が1本でもヒットでも打っていれば、金田は後に国鉄から巨人に移籍しただろうか? 長嶋との対決を生涯望んだかもしれない。もしそうであれば400勝は果たしてできたか? 2人の対決の結果が違っていたら、球史も変わっていたかもしれない。妄想がどんどん膨らんでしまう。 今から60年も前の対決。今のプロ野球でいえばだれとだれの対決に例えられるのだろうか? ボクはまったく想像できないな。※この写真が、金田さんの最もお気に入りだったという。投げ終わった後、視線がしっかりと打者に向いている。NHKより。(LP)ミスターG 栄光の背番号 3/長島茂雄・その球跡 【中古】立川志らくの「男はつらいよ」全49作 面白掛け合い見どころガイド / 立川志らく 【本】大学野球2019秋季リーグ決算号 週刊ベースボール 2019年 12月 18日号増刊 / 週刊ベースボール編集部 【雑誌】