【甲子園2021夏】連日の雨が影響した? 新記録などあれこれ
昨日(8月29日)、甲子園大会が終わった。振り返れば、連日雨に見舞われた大会だったような。この大会で生まれた記録などあれこれをまとめてみた。1・史上4度目のコールドゲーム 試合順延数は、かつてない7度。そして大阪桐蔭ー東海大菅生戦、8回表途中で降雨コールドゲームもあった。過去の春夏あわせても、降雨コールドになった例はたった3回しかない。両校の主将を呼んで、コールド試合を宣言。(写真はNHKより。以下も同じ)その3回とは、①1932年夏、早稲田実ー秋田中。早実が7点をリードしていた7回表、降雨のため審判が試合打ち切りを判断した。結果、早実が8-1で勝利した。②1988年夏、滝川二ー高田(岩手)。試合中降りしきる雨の中、グラウンドが泥沼と化した。8回裏、滝川二が二死で攻撃中だった時、審判が試合の打ち切りを宣言した。結果、滝川二が9-3で勝利した。③1993年夏、堀越ー鹿児島商工(現樟南)。堀越が3点差を追う8回表、無死一塁の場面で滝のような雨が降り続けたため、審判団が試合続行は不可能と判断し鹿児島商工が3-0で勝利した。この時、堀越には1番ショート・井端弘和(のちに中日など)がいた。2・最も遅い試合の開始・終了時間 3日連続で順延になった直後の15日、第1試合の開始を遅らせたため、第4試合の高川学園(山口)ー小松大谷(石川)の開始時間は午後7時10分、終了時間は午後9時40分。大会史上で最も遅い時間となった。第4試合の試合開始時間は、午後7時10分だった。 大会本部によれば、1953年以降の夏の大会で、最も試合開始が遅かったのは、1965年の報徳学園ー広陵で午後6時50分。最も遅い試合終了は1968年の津久見(大分)ー高岡商(富山)で9時27分(延長12回)だった。①1965年夏、報徳学園ー広陵。ゼロ行進が続いたが9回表に報徳が貴重な1点を挙げて勝利した。報徳学園は兵庫県予選・決勝でエース鈴木啓示(のちに近鉄)を擁する育英にサヨナラ勝ちして甲子園に出場、広陵に勝利後も勝ち進みベスト8入りしたが、準々決勝でこの大会に優勝した三池工にサヨナラ負けを喫した。報徳のエースは、のちに阪神などで活躍し通算72勝を挙げた谷村智博だった。②1968年夏、津久見ー高岡商。打撃戦となったこの試合は、前年のセンバツに優勝した津久見が延長12回の末、高岡商を下した。津久見にはのちに西武で活躍した大田卓司がいた。一方敗れた高岡商には、のちにロッテで活躍、「神主打法」と呼ばれた土肥健二捕手がいた。3・9試合もあった完封試合 コロナ禍の影響もあり、「投高打低」の傾向が強かった。総得点367は過去20年間で2番目に少ない。2試合連続完封した渡辺翔真(盛岡大附)をはじめ、完封は9試合あった。1大会9完封は2004年以来の多さ。3回戦は、3回から救援した盛岡大附・渡辺翔真。 その2004年は、のちにプロで活躍する投手たちが完封勝利した。主な試合は、①東北(宮城)ー北大津(滋賀)。ダルビッシュ有(のちに日本ハムなど)と真壁賢守の2本柱の東北。この試合はダルビッシュが8安打されながらも北大津を完封した。13-0。②千葉経大附ー富山商。のちに横浜に入団する松本啓二朗が富山商打線を6安打に抑え完封した。1-0。監督は父・吉啓氏。③東北(宮城)ー遊学館(石川)。東北・ダルビッシュ有が再び完封した。4-0。④横浜ー京都外大西。横浜の投手は涌井秀章(のちに西武など)、1年生捕手・福田永将(のちに中日)とバッテリーを組み、延長11回1-0でサヨナラ勝ち。涌井が完封勝利した。⑤済美(愛媛)ー岩国(山口)。済美のエース・福井優也(のちに広島など)が岩国打線を6安打に抑えて完封勝利した。6-0。済美の4番は一学年上の鵜久森淳志。打球の強さは特筆ものだった。4・同系列対決の決勝戦は史上2度目今大会の8強はすべて西日本勢、そして4強はすべて関西勢が占めた。そして決勝は智弁学園(奈良)と智弁和歌山の「智弁対決」になった。中央の一塁塁審は、この大会を最後に甲子園大会から引退する堅田さん。 過去、同系列どうしの決勝戦は、1972年春の日大桜ヶ丘ー日大三。この試合は、 190センチの長身エース・仲根正裕(のちに近鉄など)が、2連覇を狙う日大三を抑え5-0で勝利、初出場で初優勝を飾った。