【甲子園2022夏】春夏あわせて13回目の正直、優勝旗の「白川越え」なるか?盤石の仙台育英(宮城)が決勝へ!
昨日の準決勝、第1試合は仙台育英高(宮城)ー聖光学院高(福島)の東北どうしの対戦でしたが仙台育英が圧勝。続く第2試合は大阪桐蔭を準々決勝で下した下関国際(山口)が近江(滋賀)に勝利して、決勝戦のカードは仙台育英ー下関国際に決まりました。東北人にとって念願だった「白川越え」はなるか?夏の第1回大会決勝で秋田中が延長13回の末に京都二中に敗れていなければ、いつまでも「白川越え」などと言われずに済んだものを・・・。決勝は明日行われます。■過去、「白河越え」を果たせなかった東北各校の決勝戦績2014年までの東北勢の戦績(決勝)1 1915年夏・第1回秋田中(秋田) 準優勝1-2京都二中(京都)2 1969年夏・第51回三沢高(青森) 準優勝0-0(延長18回)2-4(再試合)松山商高(愛媛)3 1971年夏・第53回磐城高(福島) 準優勝0-1桐蔭学園高(神奈川)4 1989年夏・第71回仙台育英高(宮城)準優勝0-2帝京高(東東京)5 2001年春・第73回仙台育英高(宮城)準優勝6-7常総学院高(茨城)6 2003年夏・第85回東北高(宮城) 準優勝2-4常総学院高(茨城)7 2009年春・第81回花巻東高(岩手) 準優勝0-1清峰高(長崎)8 2011年夏・第93回光星学院高(青森)準優勝0-11日大三高(西東京)9 2012年春・第84回光星学院高(青森)準優勝3-7大阪桐蔭高(大阪)10 2012年夏・第94回光星学院高(青森)準優勝0-3大阪桐蔭高(大阪)11 2015年夏・第97回仙台育英高(宮城) 準優勝 6-10東海大相模(神奈川)12 2018年夏・第100回金足農高(秋田)準優勝2-13大阪桐蔭高(大阪)《解説》No.1 秋田中決勝は京都二中と対戦、スコア1-1で延長戦となり、13回裏にサヨナラ負けを喫した。エースは長崎広(後に明治大)。ただ第1回大会だったため、秋田中自ら県内で予選を開催して勝ち抜き、東北代表として出場した経緯がある。当時全国でも屈指の実力があるといわれた盛岡中などの岩手県勢に連絡をせずに東北大会を開催したことで、後々まで物議を醸した。<関連記事>http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201508170000/No.2 三沢高あの伝説の決勝戦。太田幸司(後に近鉄ほか)と松山商高・井上明(後に明治大)の投げ合いは果てしなく続いた。三沢は延長15回、16回と満塁機を惜しくも逃して得点できない。出鼻はやや調子の上がらない気配だった太田も回を追うごとに持ち前の速球が唸りを上げ、特に延長に入ってからは相手にチャンスすら与えなかった。4時間16分後、規定により延長18回引分け。翌日の再試合も太田が再びひとりで投げ抜いたが、投手が二枚いる松山商高に敗れた。<関連記事>http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201401100000/No.3 磐城高「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿(後に日本大)は3試合連続完封で決勝に進み、桐蔭学園高に甲子園で初失点(34イニング目)、0-1で敗退した。この年の4月、常磐炭鉱の大部分が閉山となり、田村をはじめ多くの選手が離職者の家庭。錆びれ行く炭鉱の町の期待を一身に背負っての甲子園出場だった。<関連記事>http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201312280000/No.4 仙台育英高エースは大越基(現・早鞆高監督)。準々決勝はセンバツで敗退した上宮高の4番・元木大介(後に読売)を封じ込めてリベンジした。準決勝は宮地克彦(後にホークスほか)や谷佳知(後にオリックスほか)のいる尽誠学園高と対戦、10回表に大越自らタイムリーを放ち、仙台育英が接戦を制した。決勝はエース・吉岡雄二(後に近鉄ほか)を擁する帝京高に惜しくもスコア0-2で敗退した。その後、何の縁か吉岡が仙台・楽天に移籍したが、仙台市民は温かく吉岡を迎えたという。No.5 仙台育英高後に早稲田大に進む芳賀崇がエース。常総学院高との決勝は両チーム合わせて28安打が飛び交う乱打戦になった。最後は相手打線を上回る16安打を放った常総学院が仙台育英を退け、初優勝を飾った。※同じ宮城からは東北高も出場、エースは高井雄平(後にヤクルト)だった。野間口貴彦(後に読売ほか)を擁する関西創価高との対戦カードが注目を浴びたが、勝ったのは野間口。No.6 東北高エースはダルビッシュ有(後に日本ハムほか)。2点差を追う常総学院高は4回、坂克彦(後に楽天ほか)の二塁打などで3点を奪い逆転。8回にも坂の左前安打を皮切りに1点を追加して勝利を決めた。この大会で勇退を表明していたこと木内幸男監督(当時)は高々と宙に舞った。一方のダルビッシュは124球の熱投を見せたが、被安打12、失点4で敗戦。試合後、大粒の涙を流した。No.7 花巻東高エースは菊池雄星。初戦の鵡川高戦では最152km/hを記録、9回一死まで無安打の投球で2安打完封。2回戦の明豊高戦では9安打を浴びたが2試合連続の完封。準々決勝・南陽工高戦ではビハインドの状況でリリーフ登板、4回無失点で逆転勝利。準決勝・利府戦では2点本塁打を浴び初失点を喫したが5安打2失点完投。決勝では、清峰高の今村猛(後に広島)との投手戦になるも0対1で敗れ、岩手県勢初の優勝はならなかった。菊池だけでなく佐藤涼平(後に日体大、故人)ら脇役たちの活躍も忘れられない。No.8 光星学院高エースは秋田教良。畔上翔、横尾俊建、高山俊ら強力打線の日大三高に12安打を浴び、スコア0-11で大敗した。主軸の川上竜平、田村龍弘、北條史也らの光星学院打線は、日大三のエース・吉永健太朗に散発5安打に抑えられた。No.9~12は省略。