1940年、川上の”弾丸ライナー”【大和球士著『野球百年』を後ろから読む】
1940(昭和15年)、戦争の靴音が次第に高くなる中、”弾丸ライナー”という言葉がうまれた。打球を放ったのは巨人軍の4番・川上哲治、命名者は大和球士さんだった。 4月1日、後楽園球場。この年著しい飛躍をみせた名古屋軍と巨人軍の激突。9回裏、走者をひとり置きフルカウントから川上が剛速球を叩くと、左翼手の守備位置前に”弾丸ライナー”となって飛び、あまりに当たりが強すぎたためにワンバウンドした球が吉田のスパイクに当たり、ファールグラウンドへ飛んでいく二塁打となって、巨人軍がサヨナラ勝ちした。 大和さんは「川上の壮絶な弾丸ライナーは、いまだに筆者の眼底に焼き付いて離れない。打球が強すぎて野手がボールを一瞬見失い、スパイクに当てて高くハジクなどは稀有の出来事に属し、筆者の知る限りにおいては2回あるのみ」と記している。 写真は『激動の昭和スポーツ史 プロ野球(上)』(ベースボール・マガジン社)より。