前回の続き。
昨年11月、skyAが放送した番組『高校野球名将列伝』を見て。
■星稜・山下智茂元監督(現在は名誉監督)は、「マシンガンノック」でつとに有名だが、語りも次々に名言が飛び出す。まるで「マシンガントーク」である。
曰く、
「花よりも花を咲かせる土になれ」。そして、
「人を残すことは上、お金を残すことは下、財産を残すことは中、そして感動を残すことは特上である。人生とは、すなわち思い出づくりなのだから、人に感動を与える人間になりなさい」等々、語りだしたら終わる気配がない。
■また、本気で「バカをやれる」人でもある。
野球部監督に就任した直後のことだ。この時、野球部員はたった8名しかおらず、ただの弱小チームに過ぎなかった。が、公立高に落ち、俯いて登校する生徒たちを見るや、猛烈な使命感にかられた。星稜を、彼らが胸を張って登校できる学校にするぞ! と。
かくて、さっそく学校中に「野球部は甲子園に行くぞ!」と宣言しまくった。それだけでは足りなかったか、上着の胸のところに「甲子園」と書いて、それを見せびらかすように校内を歩きもした。
他にもある。練習中は打撃投手を買って出ることが多かった。ユニフォームの胸に「江川」と書き、「俺は江川だぞ! 打ってみろ!」と叫んで、マウンドの3~4m手前から速球を投げ込んだ。そしてある時は、東海大相模を模してユニフォームにペンでタテ縞を描くと、胸に「原(辰徳)」と書き打席に立って投手と相対したこともある。
どれもこれも、猛練習でチームを引っ張ってきた山下なりの練習法だった。しかし、その後、1979年(昭和54年)、山下の野球観を大きく変える出来事が起きた。
■それは、夏の甲子園3回戦、対箕島との死闘だった。
(延長18回)
星稜 000 100 000 001 000 100 =3
箕島 000 100 000 001 000 101X=4
追いつ追われつの好試合は、延長18回の末に星稜が敗れた。が、結果より、試合中、ベンチでいつも笑顔でいる箕島・尾藤公監督の態度に驚かされた。自チームがピンチの時も、尾藤はなぜ笑顔でいられるのか。それが山下には不思議だった。
「それまでは俺についてこい、という野球をやっていたが、尾藤さんは違った。自分と器が違うと感じた。そして選手を『待つ、信じる、許す』ことができる監督に変わろうと思った」。
すぐさま「勝つ野球」から「育てる野球」に方針を大転換した。選手に対しては説得でなく、納得を心掛けた。また、野球と関係ない企業の経営者や医師らと合い、貪欲に野球以外の知識や考え方を吸収した。そして話を聞くうち、毎日、自分の顔を鏡で見ることの効用を知った。
「それからですよ、玄関に大きな鏡を置いてね、毎朝毎晩10分くらいずつ自分の顔をじっと見るようにしたんです。1年ぐらい経つと自分の心が読めるようになり、その後は選手の心、さらに相手チーム監督の心が読めるようになった・・・」。
■監督を引退後、『甲子園塾』の顧問として、後進の指導に当たっている。生徒は全国の若い監督たちだ。彼ら生徒に求めるレベルは高い。
「俺たちの世代は、後ろ姿で選手を引っ張る監督が多かった。しかし、今の若い監督たちは頭で野球をやっている。知識は豊富だけど心が欠けている。大事なのは心、つまり愛だ」。
さらに、こう続けた。
「若い監督たちは、選手の限界を伸ばしてやることができない。選手に素質だけで野球をやらせている。だから大学、社会人、プロに行ってから選手が伸び悩む。精神力の強さを伸ばすことが大事なんだ」。
(写真)山下智茂・元監督。『甲子園塾』にて。ノックバットをもつと「鬼」になるが、手放すと「仏」に変わる。この写真は、一瞬だけ「仏」になったシーン。~skyAより~