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あま野球日記@大学野球

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2015.03.07
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テーマ:高校野球(3671)
カテゴリ:高校野球

■1965年(昭和40年)、夏の甲子園を制したのは福岡・三池工だった。
甲子園初出場にして初優勝の離れ業である。しかし開幕前に三池工優勝を予想した者はいなかったはず。当の選手たちさえ甲子園出場が最大の目標。甲子園はベスト8入りすれば御の字というのが正直なところだった。ところが予選から勝ち上がる中で次第に実力をつけ、甲子園決勝では剛速球投手・木樽正明(後にロッテ)を擁する銚子商を退け、とうとう頂点にまで達した。

以下、参考:澤宮優著『炭鉱町に咲いた原貢野球ー三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』(現代書館)。

三池工のある大牟田市民の熱狂ぶりは凄まじかった。昭和34年から35年にかけて三池争議があり、市民が真っ二つに分断されるなどイザコザが絶えなかった。さらにその3年後の昭和38年には三川坑の炭塵爆発があり多くの犠牲者を出した。♪月が出た出た 月が出た 三池炭鉱の上に出た~♪ の唄にある活況ぶりは今は昔。長引く炭鉱の低迷は町全体に影を落としていた。

そんな中で三池工の甲子園優勝である。凱旋パレードには人口21万人の町に、30万人が駆け付け沿道を埋めた。近隣の建物の屋根にも見物人があふれ、電信柱によじ登った人は上から紙吹雪を撒いた。市民にとっていやなことばかり続いた10年間を、三池工の快挙が一気に吹き飛ばす何よりの救いだった。市民たちは口々に語り合った。「盆と正月のいっぺんに来たバイ」「天皇陛下の来らしたときよりも凄かったバイ」。



■チームを率いたのは原貢だった。その指導ぶりは一言で表現できる。「熱血漢」。拳骨は当たり前、たるんでいるとみるや至近距離からノックの雨を降らせた。むろん選手は素手である。プロ野球選手を育てるのではない、社会に巣立った後、つらいことがあっても耐えられる根性を身につけるのだ、と。

そして三池工優勝から40年近くが経ち、著者の澤宮優さんは選手一人ひとりに会って話を聞いた。高校時代の思い出、そして今を。多くの選手たちはサラリーマンとして管理職に就いていた。彼らは異口同音に言う。「いま自分がある原点は、三池工時代に培ったもの。原監督の指導の賜物だ」。

しかし一人だけ「甲子園優勝はただの思い出に過ぎない」と呟く人がいた。彼は優勝チームで主将を務めた男である。三池工卒業後に特待生で大学野球部に進むも人間関係の問題などで退部、その後に大学を中退。さらに社会に出てからも辛酸を嘗め続けた。

「社会は野球とは質が違う。自分の評価が野球のようにはっきりと見えない。野球と違って目標がもちにくい。僕は野球の中で目標を達成してしまったわけです」。続けて「野球をずっとやってゆけて、先に行ける力があるのなら優勝したほうがいい。でも先に行ける力がなければ優勝しないほうがよい。僕の場合は体格もないし、素質もあまりなかったから優勝を超える目標が見つからなかった」。



■早期に目標を達成してしまうことの空しさ、とでもいうのだろうか。勝利のために甲子園出場のために主将として率先して練習し、チームメイトを引っ張り続けた。その結果が思いがけない甲子園優勝だった。

頂点とは、もうその先がないということ。もしその先も頂点を維持し続けるならば良い。しかし現実は、これまできた道のりをゆっくり下りつつ、次の目標を探すことが多いだろう。

これは野球人に限ったことではない。一般社会でも同様で、何らかの人生の目標を早く達成した(と、少なくとも本人が思った)時、次の目標設定がとても難しくなる。あの時が最高だった!とひとり呟いたところで、人生まだまだ先がある。ならば、目標なんて叶わないほうがいい、という言い分に一理あるように思える。



■もちろん、この元主将は自身の半生を悔いてばかりいるのではない。澤宮さんはこう結んだ。
「(元主将の)人生には優勝という光り輝く瞬間が、重荷となって彼を苦しめた期間があった。選手たちは皆が甲子園優勝という碇を体内に抱えながら、それぞれの人生を生きてきた。ある時は励ましになり、またある時は負担になる時もある。・・・良くも悪くも優勝という揺さぶりから逃れることはできなかった。・・・その中で元主将は主将であったゆえに誰よりも注目され、また期待もされた。それだけにその余波を受け止めざるを得なかったのも事実である」

そして優勝から30年経った頃に写した同窓会の記念写真を見て、
「選手たちより後方に立って、はにかみながら写っている(元主将の)表情には、辛酸や喜びという「時の流れ」を生き抜いた自負が誰よりも強く伝わってきた」。

三池工の選手たちは、いわゆる団塊世代である。リストラやさまざまな危機に直面して心が折れそうになる場面もあるだろうが、ぜひとも団塊世代にエールを送りたい。それが三池工の取材を始める発端だったと最後に書いていた。




炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡 [ 澤宮優 ]





澤宮優.JPG

(写真)澤宮優著『炭鉱町に咲いた原貢野球~三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』(現代書館)



DSCN5408.JPG

(写真)優勝決定後、左が原貢監督。この時31歳。~『高校野球名監督列伝』(ベースボール・マガジン社より)




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Last updated  2018.07.07 10:40:03
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