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あま野球日記@大学野球

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2015.12.01
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カテゴリ:大学野球

明治神宮大会、大学の部の決勝は亜細亜大が延長14回の激戦の末に早稲田大を下し、大会最多タイとなる5度目の優勝を果たしました。いったいいつになったら勝負が決まるのやら? まさに手に汗握りながらのテレビ観戦でした。



明治神宮大会(大学の部)決勝(11月18日)
亜大 000 000 100 000 01 =2
早大 000 100 000 000 0 =1



■感動的だったのは、延長13回裏、一死一・三塁、一打サヨナラの大ピンチに登板した花城直(4年、八重山)の気迫あふれる投球。コンバットマーチが高らかに鳴り響く、早大にとっては”押せ押せ”の場面。見ている多くの人は早大のサヨナラ勝ちを予感したはずです。しかし、早大の好打者・茂木栄五郎(4年、楽天入団予定)に果敢に勝負を挑んだ結果四球で満塁とするも、次打者・4番の丸子達也(4年)を膝元に落ちる変化球で3-2-3の併殺に打ち取って絶体絶命のピンチを凌いでみせました。その瞬間、「どうだ~!、オレはこの場面のために闘病生活から這い上がってきたんだ!」とでも言いたげに、ハデに両腕でガッツポーズをつくり「やった~!!!」と吠えました。そして「ピンチの後にチャンスあり」の格言通り、直後の14回表に相手投手の暴投で1点をもぎ取り、亜大が優勝を決めました。


DSCN0167.JPG

(写真)亜大・花城直。延長13回裏、絶体絶命のピンチを脱し、雄叫びを上げる!(BS朝日より)

 

闘病生活ーーー、花城は昨年5月に黄色靭帯骨化症という病気(国の難病指定)で手術し、壮絶な闘病・リハビリを経験しました。そして奇跡的に神宮のマウンドに立つことができたのです。この病気は星野仙一さんが患ったことで有名になりましたが、黄色靭帯が骨化して脊髄を圧迫することで下肢のしびれや脱力などの症状が発生し、ひどい場合には両下肢のマヒなどが起きる可能性もあるようです。「手術前は、感覚がマヒしてしまい、自分の足がどこにあるのかさえ分からない状態だった」(花城)。全国優勝という偉業の陰には、何かしらの物語があるものなんですね。


■そして亜大には、実はもうひとつの物語がありました。亜大の今年一年のスローガンだった「顔晴る(がんばる)」は、晴れやかな顔で一生懸命努力するという意味が込められていましたが、このスローガンがうまれたきっかけ、それは生田勉監督の長女、英恵(はなえ)さん(19)の存在でした。

以下、毎日新聞より。
生まれつき知的障害があった英恵さんは、どんな時でもニコニコと笑顔を絶やさない。新チームの発足時、立て直しを迫られた生田監督の心に思い浮かんだのが、苦戦を強いられた就職活動を笑顔で乗り切った英恵さんの姿。昨年、英恵さんは入社を希望する会社の実習に行く途中で道に迷い、実習期間中ほとんど遅刻してしまった。なかなか採用が決まらないが、それでも毎日笑顔であいさつを続けた。その姿が多くの人の目に留まり、希望の会社への就職が決まり、今春から働き始めた。

「娘は笑顔で運が開けた。だから顔が晴れるという意味の『顔晴る』をスローガンに掲げた」と生田監督。今秋は東都リーグの最終試合で優勝を決めた。明治神宮野球大会でも準決勝の東海大戦で逆転勝ちし、決勝の早大戦でも延長十四回の激戦を制するなど土壇場で勝負強さを発揮した。板山祐太郎選手(4年)は「苦しいこと、つらいことはたくさんあった。でも、運が舞い込んで来るよう常に顔を晴らす意識をした結果」と振り返る。

一つのスローガンの下、手にした日本一。グラウンドの中には選手の、スタンドには声をからして応援し続けた英恵さんのあふれんばかりの笑顔があった。


DSCN0168.JPG

(写真)延長13回のピンチを見守る亜大応援席(BS朝日より)






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Last updated  2015.12.01 16:18:22
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