テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:近鉄バファローズ
前年まで成績が上昇したイーグルスだったが、1939(昭和14)年は9チーム中最下位に落ち込んだ。原因は明確。2年前に最高殊勲選手賞を獲得したバッキ―・ハリス捕手が突然帰米したためだった。
好守好打、特にその強肩ぶりは評価が高く、チームにとって貴重な戦力だった。また、日本語の勉強に熱心な親日家であり、ユーモラスなキャラクターの人気者でもあった。小学校の国語の教科書をいつもバッグに入れては「モモタロサン、モモタロサン」と大きな声で音読を繰り返すほど。その熱心さは試合中にも。打者がが打席に立つと、ハリスはマスク越しに「モーモタロサン、モモタロサン」と茶目っ気たっぷりに歌い出して打者の打ち気をそらしたことも。大和球士さんは「これも捕手のインサイドワークの一種だろう」と記した。 しかしこの年、臨月の妻が帰国してお産をすることになり、ハリスもやむなく突然帰国することになった。送別試合の際は、マイクの前に立ち、別れの言葉を述べたが、途中から涙が先にたち、満足に挨拶ができなかった。帰国の理由は妻のお産だけでなく、当時の日米関係の悪化も微妙に影響したのかもしれない。 当時イーグルス代表だった河野安通志が翻訳してくれた原稿には、次のようなことが書かれていたそう。 「職業野球は、皆さまのお引き立てがなければ立ちゆきません。今後ともごひいきに願います。私はこの際、別れを告げます。皆様のご壮健とご幸福を祈ります。さようなら」。 (写真)バッキ―・ハリス(左)、右は亀田忠投手。~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球(上)』(ベースボール・マガジン社)より。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.07 13:07:15
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