6340625 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2023.08.02
XML
テーマ:高校野球(3609)
カテゴリ:高校野球


 岩手大会を制したのは花巻東だったが、公立勢の活躍も目立った。盛岡三、盛岡四、盛岡商、そして県内随一の進学校盛岡一も健闘したが、準決勝で花巻東に敗退した。


(岩手大会 準決勝)
盛岡一 000 004 000 =4
花巻東 101 100 70X  =10


​​ 盛岡一を率いたのは國保陽平監督。3年前、岩手大会の決勝戦でエース・佐々木朗希(現千葉ロッテ)を登板させなかったことで物議を醸した、当時大船渡高の監督だった。今年春、大船渡から盛岡一に転勤となっていた。今度こそはとリベンジを期したはずだが叶わなかった。
​​


 今でこそ花巻東、盛岡大附、一関学院などの高校があり”準強豪”の末席ぐらいには名を連ねると思うけれど、岩手は花巻東が台頭するまでは”野球後進県”のひとつに過ぎなかった。当時甲子園で勝利を期待できるのは、盛岡一ぐらいだった。少なくともボクにとっては。


 忘れられないのは、昭和43年夏の盛岡一の快進撃だ。初戦で徳島・鴨島商を4-2で下すと、3回戦は大分・津久見を9-2で圧勝、あれよあれよという間にベスト8まで勝ち進んだ。残念ながら準々決勝で
​主将で4番の我喜屋優(のちに興南高監督など)がいる興南高に4-10で敗退した。​


盛岡一 000 010 021 =4
興南高 000 424 00X =10
(盛)小笠原-三浦、(興)安次嶺


 たしかボクはこの興南戦を、盛岡駅の待合室にあるテレビで見ていた記憶がある。当時は甲子園の1回戦負けが岩手県勢の常だったから、ベスト8まで進出した盛岡一の戦いを興奮しながら見ていたはずだ。ただ、本土復帰前の沖縄チームが相手ということもあって、少々微妙な空気が漂っていたことは後から知った。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.08.02 22:01:25
コメント(0) | コメントを書く


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Recent Posts

Archives

2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12
2023.11
2023.10

Comments


© Rakuten Group, Inc.
X