夏の最多出場校は40回目の北海高(南北海道)とか。明治34年創部。大正9年、第1回北海道中学野球大会に優勝し甲子園に初出場した。初戦の対戦相手は長岡中(新潟)だった。
ボクがよく覚えているのは7年前(2016年)の夏、エース大西健斗(のちに慶應義塾大)を擁して準優勝した時のこと。準決勝で秀岳館を接戦で破ると決勝にコマを進めたが、作新学院に1-7で敗れた。
作新 000 510 100 =7
北海 010 000 000 =1
(作)今井、(北)大西、多間
北海は、準決勝まで全4試合を一人で投げ抜いた主将兼エースの大西健斗が4回に突然崩れて降板したことで苦しい展開になった。一方の作新は、最速152㎞右腕の今井達也(現西武)が完投し北海打線から9つの三振を奪い、54年ぶり2度目の全国制覇を果たした。この試合、4番打者は入江大生(現横浜、明治大)だった。
さて、かつて北海には辛い経験もあった。1971年春、センバツに選出され、選手たちが甲子園へ向かう途上、在校生の暴力事件が発覚した。やむなく出場を辞退して青函連絡船を降りることなく、そのまま青森から引き返した。いわゆる「涙のUターン事件」である。暴力事件を起こしたのは野球部と関係ない生徒だったから、連帯責任といわれても納得しがたい一件ではあった。