テーマ:甲子園(55)
カテゴリ:高校野球
1984年夏、取手二は茨城県勢で初めて全国制覇を果たした。桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を擁するPL学園を決勝で破った。その歓喜の中にいた9番打者の三塁手は、優勝後の取材にこう語った。39年経った今年の夏。監督として5回目の甲子園で初めての勝利を挙げた。(朝日新聞) その人は、土浦日大(茨城)の小菅勲監督。今夏の甲子園では上田西(長野)に初勝利後、九州国際大付(福岡)、専大松戸(千葉)、八戸学院光星(青森)を次々に撃破し、準決勝で慶應(神奈川)に敗れたもののチームをベスト4へ導いた。 (写真)土浦日大・小菅勲監督 ~ NHKより さて冒頭の記事にあったとおり、1984年夏の甲子園は、木内幸男監督率いる取手二高が優勝した。PL学園を破った決勝戦、小菅は9番・サードを守っていた。 (決勝) 取手二 200 000 200 4 =8 PL学園 000 001 021 0 =4 (取)石田-柏葉-石田、(P)桑田-清水哲 9回裏、取手二は、あと3人を抑えれば茨城県勢初の優勝が見えていた。しかしさすがに「逆転のPL」も黙っていない。 取手二のエース・石田文樹(のちに早稲田大中退-日本石油-横浜)が、この回先頭の清水哲(のちに同志社大)に同点本塁打を浴びた。その後石田は、いったんマウンドを柏葉勝己に譲ってライトへ。柏葉がアウトを一つとると石田が再びマウンドへ戻って4番・清原和博、5番・桑田真澄を打ち取った。 そして直後の10回表、ランナー2人を置いて中島彰一(のちに東洋大-住友金属鹿島)が3点本塁打を打ち、PL学園を突き放して取手二が優勝を決めた。この時、大会終了後は木内監督の常総学院への転任が決まっていたため細かいサインなどはなく、また大会期間中に海水浴に行くなど「のびのび野球」と評された。 (写真)決勝戦の延長10回表、取手二・中島が3点本塁打を放ち優勝を手繰り寄せた。 ~ 『夏の甲子園 熱闘の記録』(ベースボール・マガジン社)より 【取手二】 6 吉田 4 佐々木 7 下田 3 桑原 2 中島 191 石田 9 平岡 (19 柏葉) 8 塙 5 小菅 1番打者の吉田剛は、のちに近鉄や阪神で活躍した。この決勝戦では桑田から本塁打を打ったが、2000年の阪神時代には巨人・桑田からサヨナラ安打を放ち、お立ち台で「桑田からは(取手二時代に)甲子園の決勝でカーブを本塁打したことをよく覚えている」と話した。 (写真)取手二時代の吉田剛 ~『全国高等学校野球選手権大会100回史』(朝日新聞社)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.08.26 20:09:16
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