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4~5年前 やたらと 「あ~、このまま死んでしまってもいいな」と思うことがあって 自分でも訳がわかんないんだけど あ~、もう十分だな 一生分楽しんだな 十分に堪能したよ ・・ってな 気分に無性に包まれる なんでだ?
ボンズはまだとってもちっちゃくて いたずらみっこは、三四歳のぶっとび娘で 上のねえちゃんも、小学校低学年で みんな幸せで 幸せな様子を見るだけで幸せで 自分たちがきらきらしたやさしい光に包まれてるようで ああ 幸せだ なんて 気持ちいいんだろう って思った もう じゅうぶん 口に出してよく「もう、いつ死んでもいいなとおもうんだよ」と言ってたし あえて死にたくはなかったけど やたら「お母さんが今死んじゃったら 困るよ。・・・くらいできるようになってよ」と言ってたな なんだろう? 今は そんな 思わないよ なんなんだったろう?
今 けだるくこぼれた 日差しの中に とけてしまえば 幸せかもしれない まだ 取り戻せない 一人だけど それはそれで 楽しかった日々を うれしすぎても かなしすぎても ひとは なぜ こんなにも死にたくなって しまう の だろう ただ あなたの声が 耳の奥に 残っていて どうしても 消えない と ざいつかずおの声が ささやくように 歌う まるで 光の中に 自分も消えてしまうのかも と ぼんやり 考えた 夏の日 あるいは 眩しい 冬の日
何人かの方に 過去生の話を聞く機会があって 互いに知ってる人たちじゃないのに 言われるのが 「親と死別している 子ども 娘 姉妹 あるいは、子と生き別れた母」 のパターン
きっと あの頃で 私のいろんな 今まで綿々と続いてきた願いは 叶ったのかもしれない ・・・と思う 家族と幸せに暮らすというのは とっても 長い 時間を経た後の 「願い」だったのかもと 最近、ちょい思う
その頃よく思ったのだ もういい この後なんにも楽しいことがなくても もう、一生分楽しんだな
ほーんと、なんであんな敢えて辛気くさいことばっかり 思ってたんだろう でも、やったらと 思ってたのだ もう、いいんだよ 幸せだね・・・って
さて、今も十分幸せだけど 終わっていい・・・って感じは しない やたら、四十で不惑って言ってたのは たぶん、クリア後の課題探し? 「目の前に差し出されたディッシュを そのまま受け取って 家庭という あたたかい毛布にくるまれてのほほんとした人生を送るもよし また もう一歩を踏み出して 新しい道を進むもよし それは 君の選択次第だ」 と 二年前話してくれたガイドさん ナ~ルほど
「(ちょうじょ)はおまえ自身だ (次女)は バランスだ (ボンズ)は おまえを守るためにやってきた」 という声を夢で聞いたことがある 守るためになんかこなくていいのに いや、守ってほしいから そんな声聞こえたのかな
できることは、誰かを変えることじゃなく 自分が変わることだけ なんだろうね お・ぽのぽの 自分をクリーニング
わたしは 感謝するために生まれてきました
ということを すぐにわすれる けどあ~ 今 み~つけた♪
ありがとう っていえることが ありがとう かに?
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