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じいちゃんが亡くなりました じいちゃんとは、孫達の「じいちゃん」 私にとっては義父です とてもとても豪快で、温かく 孫達が大好きで世話好きで 太陽のような人でした 認知症で最近はまったく孫のことも子どものこともわからず 不安で焦燥感にさいなまれ 治療で入院した先で胃潰瘍になり 肺炎を併発し あっという間のことでした
魂になると認知症から解放され 元の意識に戻ると聞いていました 今頃、「いやあ、頭がすっきりとするわ」と にこにこしながら、笑ってる気がします なんとなく、かなしいという気はしないのです
死とは、完成なのかなと思いました 死とは、無くなるとか、終わるとかいうものではなく 生の完成 その一生からの 卒業 大きな仕事を成し遂げて 作品の完成 という感じがしました 終わり方が唐突だとしても もしそれが納得いかないものだったとしても 大我からみて 大きな大きな、流れを彷徨う魂の旅からみて それは、まさしく 生まれた意味を、目的を しっかりと成し遂げての「完成」 ご苦労様でございましたと、 慰撫し、ご立派でございましたなあと言祝ぐべきもの なのかなあ それが、 どのような形であれ
出会えたことに感謝し じいちゃんのくれたたくさんの愛情に感謝し ただ人は ありがとう ありがとう ありがとうしか ないのです そこには、かなしみなんて 入り込む余地はないのです かなしみは 時折 風がふくたび さやさやと 頬をなぜ 肩に滲み 時折 泣きたくなるくらいがよろしい それがもし、切実に さみしい ものであったとしても
じいちゃん ありがとう 思い出すのは やっぱり 笑顔ばかり 草いきれ、虫の声 昼の太陽の下 鈍い花色 佇む 背中 振り向く笑顔 あたたかな声 平成12年12月21日 10時21分 おいち にい いちに スーパーに真っ黄色のゆずの実が山積みになった 冬至の前の日 じいちゃんは往きました
「さ 様 なら」 さようであれば、 おさらばえ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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