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May 21, 2009
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カテゴリ:本を読む。

 



―2009年4月、私は恋に落ちていた。


ただ、「恋に落ちる」という表現は
相手と私と二人でする行為であるようにも響くので断っておくと、
これは私の片想いでしかない。
それも、ディープで途方もなく絶望的な。 


ある一人の男が。


ある一人の男が、私をいとも簡単に奪い去った。

本屋の棚の上で。




  菊地成孔『スペインの宇宙食』(小学館文庫)


のことをそろそろ書かねばなぁ。

出逢いは、そう本屋だ。


すべらかな、まるで象牙のような、
しかしライトパープルも含んでいるのか、さえざえとした表紙に

「スペインの宇宙食」と書かれている文庫が目に入った。

美しい装丁だ。作者は知らない。


手に取りたいという欲求は止められず、いつの間にかページをめくっていた。
日曜日の午前10時半、小さな本屋の隅での邂逅。


目に飛び込んできたのは、饒舌にジャンプアップする文体だった。



「美文」という語が耽美を褒める(または貶す)ためだけにあるのではないとして、
彼のそれは明らかに私にとっての"美文"であり、
しかしその美しさは不健康極まりない。
溺れる以外の選択肢はないような。



彼がどんな人間で、何をしている人でなんて知らなくていい。

その文体はすでに、私を揺り動かし、突き動かしていた。

ゆっくりと激しく。


その後、彼が音楽家であることを知り、
(3年ほど前から私は"音楽家"の書く文章を好んで読んでいる)

ちょうど来週、ライブツアーでこちらに来るらしいことが分かった。




5月1日―菊地成孔×南博のライブ「花と水」  に行く。



ライブの終わりに、第二作目のエッセイ・評論集(『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール』)にサインをしてもらった。

いつの間にか夏の日は暮れていて、
紅黒の闇を背景にして彼は「懐かしいねこの本」と苦笑した。



kikuchi.jpg



そして。
彼はサインする際いつもそうしているらしいのだが、
本を開いてページに香水をふりかけてくれた。

テュエリー・ミュグレーの「エンジェル」 


薄いブルーの星型の瓶。

暗い部屋の中、彼の手に握られたその星は発光しているようだった。

スパイシーな石鹸。
「淫らさ」と「清潔さ」は反する語ではないことを堂々と証明してみせた
色気あふれる鋭く艶のある香り。 


ページを開くたび、彼の匂いがする。

 

 

 

ただ、『スペインの宇宙食』のあとがきにおいて言及されているように、
この本に閉じ込められた物語―それを書いた人物は
すでにもう、「ない」。
様々な理由によって。


過ぎ去りし青春とでもいうか、
痛みの季節を越し、振り返って懐かしくなるくらいの
思い出話になっている。


彼は「あの頃はもうない。君の愛しているものは、もうないんだよ」と、
今までに何人も諭したであろう慣れた口調で、しかし哀しい目をして私に告げた。



あと何回読み返せば、彼を忘れられるだろう。


私の本棚からは、まだ彼の匂いがするというのに。






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Last updated  May 26, 2009 10:02:44 AM
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