広島に寄せて
9時からやっていた広島・昭和20年8月6日を見ました。今年は終戦から60年という節目の年。人間は戦争の恐ろしさ、むごたらしさを身をもって実感したはずなのに、今も世界のどこかでは戦争が起こっている。戦争は国と国との争いだったり、宗教上の争いだったりと原因はいろいろだと思う。でも人と人が殺しあうこと、無差別に人を殺すことはいけないことなのではないか・・・このテレビを見たのはたまたまではなくて、前々から見たいな、と思っていました。私自身、高校の修学旅行で広島に行ったことがあってそこで原爆ドームを見たり、原爆資料館を見学したり、語り部の方に話を聞かせていただいたんです。そのときも原爆の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを感じました。特に語り部の方から聞いた実体験の話は聞いていてもほんとうに身震いするような話で、これを直接体験した広島の方達はどんなに恐ろしかったことだろうと、涙がとまりませんでした。私が話を聞いた方は戦争当時、高等女学校の女学生で、軍需工場で飛行機の部品などを仕分けたり、組み立てる仕事をしていたそうです。原爆のあの日も、軍需工場にいつものように働きに行く予定でした。でもその日はどうしても朝から具合が悪く熱もあって、やむなく家で休んでいたそうです。軍需工場は爆心地から1km付近。家は爆心地からはだいぶ離れていた、と。そして原爆投下・・・・・家にいたその方は爆心地からだいぶ離れていたにもかかわらず、すさまじい衝撃の揺れと爆風で吹き飛ばされた、と言っていました。遠くのほうで目をあけていられないほどのまぶしい閃光が光ったと思った瞬間に体は吹き飛ばされた、と。家はほぼ全壊、がれきから這い出るとあたりは一面全壊した家とあちこちで火事が起きていたそうです。そしてまだ日中なはずなのに外は暗く、学校や軍需工場のある市内の方向は真っ赤な空が広がっていた、と。何が起きたのかよく分からなかったけどすごく嫌なことが起こったのだと、それだけは何となく分かったと言っておられました。軍需工場で働いていた同級生達は一人残らず亡くなったそうです。その日休んでいた自分だけが生き残った、と。戦争が終わったあとも何で自分だけ生き残ったのか、と毎日毎日がつらかったと。戦争さえなければ同級生達が亡くなる事もなかったし、広島が一面焼け野原になることもなかった。なぜ・・・なぜ・・・という思いでいっぱいだった・・・・語り部の方の話は心を切り裂かれるような、本当に本当につらいお話でした。でも経験したことを話していただくことで、戦争をしてはいけない、二度と繰り返してはいけないと心に誓うことができたと思います。一緒に話を聞いたあの時の私の同級生達も皆同じ思いでいたと思います。原爆ドームの前でとった集合写真。語り部の方は言いました。戦争は2度と繰り返してはいけない。私達が体験したこのつらいできごとをどうか忘れないで、風化させないでほしい。未来のあなた達に託します、と。何だか久しぶりにまた広島を訪れてみたくなりました。