「毀誉褒貶」は文学の常とは、なるほど、こういうことですか。
さて、 『この人の閾(いき)』保坂和志(新潮社)の三回目であります。 次回までのあらすじ。 朝起きたらとても天気のいい日だったので、おじいさんとおばあさんは近所の地獄巡りに行こうと考えました。しかし、おばあさんは腰痛のため辞退。おじいさんだけ、アダムスキー型円盤に乗って、図書館へと繰り出したのでありました。 あらすじ、終わり。 って、すみません、前回前々回のブログ記事を読んでください。 よろしくお願いいたしますー。 というわけで、私は、上記の本が芥川賞を受賞した際の選考会の選考委員の選評を読みました。 ざっと読みおえて、一言で言えば、僕の見方もそんなに的はずれなものではなかったな、という感想を持ちました。 9名の選者中、積極的に評価しているのは前3名です。その中でもかなり褒めているのは、冒頭の日野啓三でした。 次の4名は、まぁ別にこの作品でもいいですが、と言う感じの評価ですね。 残りの2名は、否定的。特に田久保英夫は、そうですね。 しかし、褒めている人もけなしている人も、おもしろいことにその理由は全く同じなんですね。 作品の中に、見事に何の事件も起こらないという、その一点が「毀誉」の理由であります。 このあたりがきっと、いわゆる「文学的」であることのおもしろさでしょうなー。 同じ理由で褒められて、同じ理由でけなされる。 文学賞受賞の経過なんて、どちらに転んでも紙一重という感じが、今回ちょっと調べてみただけでもよく分かりましたね。 そして、実はもう一つ、結構興味深いことに気づいたんですねー。 それは、時期の問題。 なるほど、これも実に微妙に作品の評価に影響するんですねー。 この作品の、「1995年下半期」というまさにこの受賞時期が、実に絶妙に作品を際だたせていたんですね。 それはいうまでもない、阪神淡路大震災とオウム真理教事件です。 選者の選評にもこれが影を落としています。 実は日野啓三の選評には、以下のような文がありました。 「バブルの崩壊、阪神大震災とオウム・サリン事件のあとに、われわれが気がついたのはとくに意味もないこの一日の静かな光ではないだろうか。オウム事件に対抗できる文学は細菌兵器で百万人殺す小説ではないだろう。」 なあんだ、地震とテロとで「日常」というものが揺らぎ、そして吹っ飛んでしまったおかげかー、といってみれば、まぁ、そういえないこともないわけですね。 でも僕は、時期がどうであれ、このような作品をもきっちりとすくい上げたところに、「芥川賞」もまだまだ捨てたものではないなと言う感想を持ちました。 ただし、十年以上も前の「芥川賞」のことですがね。 えー、図書館に行ってそんなことをしていました。 僕としましては、なかなか楽しいひとときでありました。 では今回はそゆことで。/font>にほんブログ村