思わぬベートーヴェン
『カンガルー日和』村上春樹(平凡社) この夏わたくし、村上春樹についての講演を聞いてきたんですが、とっても面白かったです。好きなこととか、興味ある人についての話を聞くというのは、面白さの二重重ねみたいな感じで、とっても贅沢・充実感の時間でありますね。 もう大昔になりましょうが、そんな時間のことを、確か糸井重里氏が「一粒で二度おいしい」と、そのころのコマーシャルコピーを用いて表現していたのを思い出しました。 さて村上春樹といえば、出す本出す本ほとんどベストセラー(それも世界規模でのベストセラー)で、現在日本で一番本の売れる作家であるうえ、またその文学性の高さについては、ここ数年、毎年のようにノーベル文学賞候補に挙がっている(「挙がっている」と私は思ってきたんですが、それで正しいんでしょうか)ことからも分かる、すごい方でありますね。 このたびそんな作家の、古ーい短編小説集(「ショートショート」という言い方のほうが正しいでしょうか)を再読、というか全部を読んだのは再読か三読くらいでしょうが、部分的な作品についてはもっと何度も読んでいますが、ともかく、久しぶりに読み返してみました。 まず、久しぶりに読んでも、その面白さが色あせていなかったのがとても嬉しかったですね。 そしてさらにこの度思ったのですが、この短編集は1983年に出されているのですが、30年もたって作家の初期の、それも「小さなお話」を読み返してみると、後に長編や中編になった話の萌芽があちらこちらに見られる気がして、ちょっとした新鮮な驚きが随所にありました。 ところで、冒頭に触れた村上春樹についての講演の時、講師の先生(大学の先生でした)がおっしゃっていましたが、村上春樹は短編小説を三日で書くそうであります。 講演の時いただいた資料に、インタビューによる村上春樹の言葉として、こんな引用がありました。 「短編というのは三日で書くんです。というか、三日で書かないと意味がない。」(『広告批評』1999.10) 「集中して短編小説を書こうとする場合、書く前にポイントを二十くらいつくって用意しておきます。(略)リストにしておく。それで短編を五本書くとしたら、そこにある二十の項目の中から三つを取り出し、それを組み合わせて一つの筋をつくります。」(『文学界』2005.4) ……なるほどねぇ、と、読んで、わたくし、つくづく感心いたしました。 そして同時に、村上春樹の短編について、少し理解の程度が高まったように思いました。 まず感心したというのは、村上春樹という作家は全く想像以上の天才作家だなということであります。 世間にはいろんな分野のプロフェッショナルがいて、その仕事ぶりに驚く例はたくさんありますが、上記に発言された村上春樹の仕事ぶりも、間違いなくそんな、ある分野の天才の仕事ぶりでありましょう。ちょっとやそっとでできることではないと思いましたね。 そしてもう一つ分かったことは、村上春樹の短編に見られる一気呵成というか、ある種の「勢い」の正体であります。 ストーリーの整合性を飛び越えていきなり全体として姿を現してくるものや、テーマなどという言葉では律しきれないほとばしりのようなものの描かれる理由が分かった気がしました。 ……わたくし、ふっと思ったんですがね。 ベートーヴェンについてのエピソードなんですがね。きっと昔読んだ本に書いてあったのだと思いますが、ベートーヴェンはさまざまな種類の音楽を創造したが、終生書き続けたのがピアノソナタと交響曲とそして弦楽四重奏である、と。そしてこの3種類の作曲がひとつのセットになって、ベートーヴェンのそれぞれの時期における音楽性がどのように成熟していったかを、実に明瞭に示している、と。 一方ご存じのように、村上春樹は短編小説、中編小説(普通の長編小説くらいの長さですが)、そして長編小説(大長編小説)をきちんとローテーションしながら書いていく、これも実に勤勉な作家であります。 ベートーヴェンの3種類の作曲にそれがきれいに重なるわけでもないでしょうが、そして後の2つのどちらがどちらかはさておき、1つだけは私にとってはそのように感じ、なんだか頭の中にピアノの音が聞こえながらの心地よい読書のひと時でありました。 最後になりましたが今回読んで、私が特に面白いと思った作品は『カンガルー日和』『眠い』『駄目になった王国』『鏡』でありました。 この中には、以前読んだときの印象を全く忘れていたものもありました。 なんだか、不思議ですね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村