思わずはっとする言葉の嵌り方
『わたくし率 イン 歯ー、または世界』川上未映子(講談社文庫) 以前、同筆者の芥川賞受賞作を読みました。 今となっては、ほとんど内容を覚えていませんが、なかなか面白かったとまとめた記憶があります。 加齢のせいか(って、何でも加齢のせいにできるのはなかなかこれは便利なんじゃないかと思い、同時にいや、簡単にアリバイができることで人間がどんどん横着になってきて、努力せずの責任回避体質になりつつありで困ったものだと思いもする今日この頃ですがー)、読んだ本の内容の失念速度が近年加速度的に増している気がします。 先日読んだばかりの本なのに、もうほとんど内容を覚えていない、というか、という以上に、もっと極端に読んでいる途中ですでに冒頭部の内容が失念のかなたにオーヴァーザレインボウ。……。 という訳ですが、本書には2作の小説が入っています。 「わたくし率 イン 歯ー、または世界」(2007年初出) 「感じる専門家 採用試験」(2006年初出) そして、この後2008年『乳と卵』で芥川賞を受賞なさるという具合ですね。 ……うーん、何というかー、実に順調ですなー。 こうして並べてみますと、実に着々と筆者の「小説力」が発展的に展開しているのがとてもよくわかります。才能が、みるみる開花していっているんですね。 こういう時期って、ある種の天才的人物には結構訪れるようでありますね。 以前、河野多恵子の文章で読んだのですが、樋口一葉が『たけくらべ』を書く直前の半年間ほどの作品を見ていくと、その間にとんでもないような速度で才能が開花していく様子がまざまざと感じられると書いてあったように思います。 筆者にとって、この一連の日々はそんな時期になっていたのかもしれません。(翌年以降もしばらく、筆者は更に次々と新作が高く評価されていたようでありますが。) まず「感じる専門家 採用試験」ってのは、いかがでしょう。 うーん、文体で読ませる小説でありましょうかなぁ。 内容的には、筆者のテーマが先走ってしまって、明らかに物語としては貧弱な形でしかまとめられていないと思います。 ただ描かれた文体には、以後の同筆者の作品と比べても極端な灰汁の強さを漂わせはしますが、読んでいて心地よいドライブ感があります。 これでしょーなー。この感覚は捨てがたい、と。 そして、一年後に再びあらわした姿は「わたくし率 ~」で、これはこれは、なかなか立派なものではないですかー。 一応この作品がデビュー作ですかね、前作を習作と捉えれば。 やはり、文体でしょうかねー。というより要するに、文章中に紛れ込んでくる思いがけない言葉の選択なわけですね。 読んでいて、思わずはっとしてしまう言葉の嵌り方であります。 この心地よい「はっと」感は、一体何かと考えてみますれば(考えている途中で、比喩表現でこの「はっと」感を大いに出していた作家は村上春樹だろうな、と思いました。『ノルウェイの森』なんかは、この「はっと」感比喩の巣窟のようなものであります)、スポーツ観戦感覚と似ていると気が付きました。例えば、野球の守備のファインプレイ。 ……なーるほど。 運動神経、ですか。そう考えれば、かなり納得がいく感じがします。 守備にスランプはない、とも言いますし。 しかし、確かにゴールデングラブ賞ってのもすごいんでしょうが、やはり野球の圧巻は、内角を抉るように投げこまれたシュートボールを、肘をコンパクトに畳んでセンターに弾き返すクリンナッブの打撃テクニックにあることは確かでありましょう。 本作の終盤のクライマックスは、なかなか迫力あるものではありましたが、作品の落としどころを広汎な現代的課題に収束させてしまったせいで、前半の行方知れずのエネルギーが薄まってしまい、やや閉塞したように感じました。 じゃ、どうすればよかったのか。 ……もう一歩行方知れずのまま踏ん張ってほしかったとは思いますが、なるほど、どうすればよかったのかと問われれば、それはなかなか難しいところであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村