「自我」とは何か、なぜ「自我」なのか(前編)
『漱石のこころ』赤木昭夫(岩波新書) そもそも知らないことの多すぎる人間で……いえ、それはもちろん私の事なんですが、とにかくこの筆者についても私は何も知りませんでした。 本書に載っている簡単な作者紹介のページで他の著書を見ていますと、ジャーナリスト系の方かな、と。まぁ少なくとも文芸評論家でないことだけは間違いないだろう、と。 そんな感じで読み始めたのですが、第1章で『坊っちゃん』を取り上げていました。 最初に書いてあることは、『坊っちゃん』が書かれて百年以上にもなるのにいまだ定説がないのはおかしい、ということでした。それは、多様な評価があってたいへん結構だというのとは全く違う、と書いてあります。 これはよーするに、今までの漱石研究者並びに文芸評論家にまるで作品を見る目がないと言っているんですが、こういう事をのっけから書くなんてかなり自信家の方ですね。普通ならそう簡単には先達の業績をゼロ否定できるものではないと思うんですがね。 そこでまー、当然筆者は、自説=「新説」を書きます。(展開上書かないわけにはいかないでしょう。) それは、『坊っちゃん』は政治風刺の小説なのだ、と。本書でも触れられていますが、スウィフトの『ガリバー旅行記』が当時のイギリスの政治状況を風刺したのと同様に、当時の日本の政治状況を風刺したのが『坊っちゃん』である、と。 立論段階を読んでいて、なるほどそう読むかーという気は確かにしましたが、しかしそれ以上の衝撃性は申し訳ないながら感じませんでした。つまり、筆者が否定した数多くの説の一つというレベルの一応の納得ですね。 でもそれは、上記にも少し触れましたが、評価の多様性というものについて、おそらく私が筆者以上に肯定的であるせいだと思います。あるいは私がやはり、「言ったモン勝ち」っぽい文芸評論を(少々うんざりしつつも)読み慣れているせいかもしれません。 ……思うに、「新説」の衝撃性というものはもう少し別のところから生まれるもののような気がします。それは、……うーん、私もよく分かりませんが、やはり発想並びに展開の切れ味、あたりでしょうかー。 例えば本書の中に『行人』を説いたところがありますが、終盤『行人』の構成が狂い、一時中断に追い込まれた原因について、わずか一場面だけを取り上げて解釈した部分があります。ここなんかはなかなかスリリングで面白かったです。(引用しようと思ったのですが、長くなりそうなので諦めます。とても見事な分析でしたが。) というのが、本書読書の始め付近の感想でした。(『行人』うんぬんは別ですが。) ついでといっては何ですが、私は最後まで本書を読んで、『坊っちゃん』のこの捉え方は本書全体に底通する筆者のテーマであることが分かりました。 それは一言で言うと、漱石作品の持つ政治性に焦点を当てて全体を読み直すという試みで、そういわれれば今まで漱石作品の政治性はあまり触れられることがなかった(初期の『趣味の遺伝』『二百十日』『野分』のあたりでは触れられるでしょうが)気がします。 しかし筆者は晩年の「則天去私」に至るまで漱石作品には一貫した政治性があると説くんですね。読み終えてみるとこの捉え方は、これはこれで結構面白かったです。(こんな所はいかにもジャーナリスト系な方の感じですね。) さて、やっと本線に戻りますが、第1章で『坊っちゃん』に触れた後、第2章以降、話はいきなり難解になります。いえ、少なくとも私にとって難解になっていくのですが、その理由は、よーするに漱石の『文学論』を論じて、ヘーゲルとかといった哲学者の話になっていったからです。 わたくし、実は漱石の『文学論』も『文学概論』も読めていません。古今東西の様々な哲学についても、どうにも理解ができません。脳みそがかなりアバウトにできているんですね。シビアな論理展開についていけないんですね。……うーん、無知の悲しみですねー。 というわけで、第2章から第4章までは字面スキップ読みでした。ところが、第5章「エゴイストの恋」に入ると、これがまた、俄然面白いではありませんか。 ここは主に『それから』を取り上げているのですが(作品本文の取り上げ方についても本書は普通の学術研究書などとは少々異なっています。たぶんこの辺りは他の人からその学問性について問い質されそうなところでありますが)、主なテーマは「自我」です。 なるほど特に後期の漱石作品にとって、「自我」というのは切っても切れないテーマだと、私も何度か読んだことがあります。 でもよく考えてみれば、「自我」とは厳密にいうと何なのか、なぜここで「自我」なのかなどについて、私はよく分かっておりません。(それは私だけなのかも知れませんが。) ということで、漱石作品の「自我」を筆者がどう読み解いていったかを以下に触れようと思いましたが、……えー、すみません、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村