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カテゴリ:明治期・反自然漱石
さて、夏目漱石前期三部作最終話です。 『門』夏目漱石(新潮文庫) です。しかし、今回もそのものを取り上げる前に、僕が読んだ、『門』が描かれるに至った社会状況について指摘した文章に触れてみます。こんな本です。 『漱石 片付かない〈近代〉』佐藤泉(NHKライブラリー) この本は前半が漱石作品全般の概論、そして中盤あたりから、個別作品の検討に入っています。『門』について書かれたところが、僕はとても面白かったです。 こんな風に書いてありました。 まず『門』に前後して二葉亭の『平凡』、独歩の『非凡なる凡人』などが発表され、軌を一にした作家の動きに対してこの様に説明しています。 「平凡」な人生は、あるとき小説に描かれるべき題材として見いだされたのである。(略)物語のヒーローとして、およそふさわしくない、ただの人を主人公にするというのはひとつの価値転換だが、そこにこそ小説における近代性の一面があった。 なるほどね。 明治という時代が良くも悪くも一定の安定を見せ始めた時に、この様な状況が生まれるのは、さもありなんと思えますね。 つまり平凡人を書くことが新鮮であり、最先端であったということでしょうか。 しかし同時に、佐藤氏はこういう指摘も行っています。 『門』の夫婦の日常生活が湛える一種の魅力の正体は、絶え間なく自己を鍛えて成功へと邁進しなければならない過酷な自由競争のコースから降りた者の安らぎなのかもしれない。コースに乗れなかったために平凡なのではなく、コースから降りたために平凡になった彼の静かな日常は、野心と競争、羨望と挫折といった社会的心理の外でこそ可能になっている。 ここに触れられている内容は、明治の近代文学が発生すると同時に文学者達が取り上げた視点であります。 二葉亭の『浮雲』しかり。漱石の作品履歴においても、挫折者『坊っちゃん』は当然として、デビュー作『猫』の中の「太平の逸民たち」にすら、この「無用者の系譜」は読みとれます。 なるほど、古い酒を新しい皮衣に、ということですか。 『門』に我々が感じる「哀愁」にも、こういった読み慣れた「アウトサイダーへのシンパシー」が、大いに感じられますよね。 でもこんな風に指摘されますと、改めて、漱石って本当にいろいろ書き込んでいるなーと思いますね。いろんな解釈が可能だというのは、それだけ本文の懐が深いって事なんでしょうねー。えらいものです。 で、さて、『門』です。 うーん、何というか、『門』って、やはり暗いですねー。「平凡」であることって、地味ですよねー。というか、もうズバリ、思いっ切り(!)地味です、これは。 ところで、この地味さは、取り上げた文庫本の解説によると、漱石の体調不良がそのまま反映しているということでした。修善寺の大患、胃潰瘍大出血までもう数ヶ月(でしたっけ)ですから。 でも、さらに解説(この解説者は大井征という方です。失礼ながら、寡聞にして私はよく存じ上げません)によると、『門』の新しい芸術上の特質は二つあるそうです。 ひとつめ。 主人公宗助の寂しく暗い心の影は、実は漱石自身のものであるということ。 『三四郎』の広田先生、『それから』の代助にあった一種陽性の性格は全くなくなってしまっているが、これは漱石の精神上の深刻な悩みの反映であるということ。 ふたつめ。 その暗い主人公を設定することで、漱石は従来の作品からさらに一歩踏み込んだ鋭く深い心理の描写に成功しているということ。 この延長上には『こころ』が、その結実として直接結びついているということ。 なるほど、『こころ』に似てますね。 でも、ちょっと中途半端ですね。ちょっと、というより、かなり中途半端です。 よく言われていることですが、「参禅」が、やはり唐突なんですね。その参禅自体も中途半端だし。 (だってそもそも『門』というタイトルは、弟子の小宮豊隆と森田草平が付けたんでしょう。『ツァラツストラ』かなんかを見ながら。) うーん、これって、上記には「古い酒を新しい皮衣に」と触れましたが、ちょっとマンネリですかね。なんだかそんな気がしてきましたよ。 この後、大出血をして、人生観が変わってなかったら、ひょっとしたら漱石、もっと大変だったかも知れませんね、小説家としては。 次の作品は、血を吐いて後の『彼岸過迄』ですか。 だいぶ前に何度か読みましたが、「須永の話」は、なんとなく今でも印象に残っているんですがね。 うーん、「後期三部作」は、どう致しましょうか。 ともあれとりあえず「前期三部作」を読んでみました。 あれこれ言っても、面白さは圧倒的であります。 こんなこってす。では。 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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