|
全て
| カテゴリ未分類
| 明治期・反自然漱石
| 大正期・白樺派
| 明治期・写実主義
| 昭和期・歴史小説
| 平成期・平成期作家
| 昭和期・後半男性
| 昭和期・一次戦後派
| 昭和期・三十年男性
| 昭和期・プロ文学
| 大正期・私小説
| 明治期・耽美主義
| 明治期・明治末期
| 昭和期・内向の世代
| 昭和期・昭和十年代
| 明治期・浪漫主義
| 昭和期・第三の新人
| 大正期・大正期全般
| 昭和期・新感覚派
| 昭和~・評論家
| 昭和期・新戯作派
| 昭和期・二次戦後派
| 昭和期・三十年女性
| 昭和期・後半女性
| 昭和期・中間小説
| 昭和期・新興芸術派
| 昭和期・新心理主義
| 明治期・自然主義
| 昭和期・転向文学
| 昭和期・他の芸術派
| 明治~・詩歌俳人
| 明治期・反自然鴎外
| 明治~・劇作家
| 大正期・新現実主義
| 明治期・開化過渡期
| 令和期・令和期作家
カテゴリ:昭和期・後半男性
『希望の国のエクソダス』村上龍(文春文庫) 本作の読書報告の三回目であります。 やっと上記の小説にたどり着きました。(って、お前が勝手にあっちこっち行っているだけだろー。……すみません。) さて、この本の後書きとか奥付とかを見ると、この本は20世紀末に書かれているんですね。つまり、あの、2001.9.11アメリカ同時多発テロの前です。 「アメリカ同時多発テロ以前の世界」 うーん、なんかすっごーーーーーーい、隔世の感がありますねー。 100年くらい昔のような気がしませんか。 今でも覚えているんですが、後、数分で21世紀になるという、20世紀最後の夜の大晦日、僕はいつになくセンチメンタルになりまして、子供達に「21世紀はお前達の世界である。世界はきっと、人類の英知により、平和な時代に入っていくだろう」などと、当時の、破裂は時間の問題であった世界情勢を、何にも知らないままに語っていました。 で、21世紀になりました。 ええこと、なーーーーんにもあらしません。 世界中、さっぱし、沈みっぱなしです。 ……えーっと、やや、感情のトーンを落とします。 しかし実際、あれから本当に世界は、大激震ですものねー。 あの事件以来、世界は全く別のものになってしまいましたねー。 で、さて、この小説の舞台が21世紀初頭なんですね。 つまり流行りの「近未来小説」というわけです。 こうして読んでみると、近未来小説というのはなかなかむずかしいものですね。 だって、数年経てば現実が小説上の時代を通り越してしまい、書かれた未来予測について、嫌でも断罪されてしまうというのが、近未来小説ですよね。そんなのを書くというのは、本当はかなり度胸がいるんじゃないでしょうかね。 あるいは、書く時はそんな先のことなんて、何も考えないのかも知れませんね。 (しかし、それも変ですね。) この作品の未来予想について、もちろんこのテロの予測まではできていませんが(ということは、今となっては、ほとんど何も予測できていないと言うことかも知れませんが、まー、それは結果論として)、にもかかわらず、僕はわりとよくできていると思いました。 でも考えてみれば、僕が村上龍の長編小説を読むのは全く久しぶりで、作家の生のプロセスを辿っての感想ではまるでありません。 かつて小林秀雄が、一人の作家の全集を読むことを大いに薦めておりましたが、確かに一人の作家を追っかけて、あるいは全ての作品を虱潰しに読んでいくと、個々の作品の出来不出来はあまり気にならなくなるようですね。 しかし何となく読んでいて、とても懐かしいものを感じたのは、これは何でしょうかね。 むかーーし、昔の『限りなく透明に近いブルー』とか『海の向こうで戦争が始まる』とか『コインロッカー・ベイビーズ』なんかを直ちに、思い出しましたものね。 で、その延長上に、あー、この作家はこんなのだったっけと、思ってしまいました。 どう「こんなのだったっけ」かというと、後半、失速気味になっちゃうんですね。 真ん中やや後ろよりの、「国会中継」という山が終わった後、なんと言うんでしょうか、急に「つるつる」の話になってしまったという印象であります。 そんな感想でした。でも、よかったです。失礼ながら、才能、あります。はい。 今回はこんな所です。少々ペシミズムです。では。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.16 07:46:48
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・後半男性] カテゴリの最新記事
|
|