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カテゴリ:大正期・大正期全般
『人でなしの恋』江戸川乱歩(創元推理文庫) 江戸川乱歩という人は、かなり気になる作家の一人でありますね。 それは、おそらく僕ひとりのことではなく、少なくないまっとうな読書人(私除く)が何となくそう思っているんじゃないかというのは、そんな方々で、乱歩について発言ある方の文章の端々に、ちらちらと感じるからです。 太宰治ならこんな時、こんな言い方をしますね。 「――ひそひそ聞える。なんだか聞える。」 これは太宰の『鴎』という短編小説の「副題」ですが、うーん、今更ながら、太宰治は言葉の天才ですねー。言葉の喚起するものがすごいですね。禍々しいまでの言葉の存在感であります。 さて、閑話休題、江戸川乱歩です。 冒頭に書きましたが、この方は、気になる作家ではありますが、その評価となると、かなり良かったり、またそうでもなかったり、「毀誉褒貶」の甚だしい人ですね。 僕はちょっとだけ乱歩について調べてみたんですが、そもそもこの方の人生行路が、文学・小説に付いたり離れたりしていたみたいですね。 そんな意味で言えば、もっと性根を据えて、腰を据えて、「この道以外に生きる道はない」くらいのつもりで頑張れば、「大作家」に成れたかも知れませんが、それは「岡目八目」、気楽な第三者だから言えることでしょうね。 それではもう少し、「気楽な第三者」の立場で、ぐずぐず考えたいと思います。 とはいえ、実は僕はほとんど江戸川乱歩は読んでいません。(情けなー。) 小中学生の頃、怪人二十面相並びに少年探偵団絡みの本を何冊か読みました。 友人に借りた古い本で、シミだらけで、装幀を見ただけでもう、おどろおどろしい感じがしたのを覚えています。 でも、この「怪人二十面相」や「明智小五郎」という登場人物は、日本文学の中では数少ない「普通名詞」に成りかかっている、ある意味「大スター」であります。 そんな作中人物って、日本文学中でいえば、あまりいませんよね。 同じく推理小説で言えば、これも大物「金田一耕助」、純文学畑で言えば「坊っちゃん」。今でも「現役」なのは、これくらいじゃないですかね。 (すでに「現役」じゃなくなっているのも入れれば、例えば「寛一・お宮」とか「姿三四郎」とか、大衆文学系で結構あるかも知れません。あと、歌舞伎の世界。) しかしこの一事を見ただけでも、江戸川乱歩の凄さが分かりますね。 (ついでに漱石の凄さもわかりますね。「坊っちゃん」だけじゃないですものね。「赤シャツ」「山嵐」「うらなり」「野だいこ」など、現在でも通じる多彩・典型的なキャラクター輩出となっています。) あと、僕が読んだ乱歩作品の話ですが、随筆が数点と、高校時代に『陰獣』(これはほとんど内容は覚えていませんが、それでもとても面白くて、そしてめちゃめちゃ恐かった記憶があります)と、確か新潮文庫に短編の傑作選(これは、結構できが良かったですねー)があって、それを読みました。で、今回、冒頭の、十作ほどの短編集を読んでみました。 読みながら、かなりあきれました。 何にあきれたかというと、この十作は解説によると、大正十四年から十五年にかけての作となっています。ほぼ、時をおかない一年間のものであります。 にもかかわらず、なぜ、こんなに作品の善し悪しに、本当に驚くほどの差が出るのでしょうか。それは全く、あっけにとられるほどであります。 この中の作品で言うと、『人でなしの恋』『踊る一寸法師』『木馬は廻る』が圧倒的にいいです。他の七作に比べると、ストーリーもさることながら、文章力・描写力に至るまで、同一作家のほぼ同時期の作とは考えられないくらいです。 繰り返しになりますが、この差は一体どこから来るのでしょうかねー。 一つは、この作者の資質でしょうか。 発表媒体の違いというよりも、ちょっと分裂気味な感じのする作者の資質だと思います。 次に、これも大切だと思うのですが、こういった小説作品に対する、その時代の人々の大枠の評価(「期待度」といってもいいですか)です。 書く方も読む方も、はっきり言うと、そんなに期待していない。つまり発表された作品が、玉石混淆、というか、出たとこ勝負のようなところが大いに見えます。 (これは例えば、横溝正史の作品や、谷崎潤一郎の作品なんかにも、同じように感じられる雰囲気です。) で、上記の三作は、とてもできがいいと思うのですが、僕はふっと、大正の末ということで、梶井基次郎の『檸檬』を連想しました。 ちょっと調べたらやはり大正末、十四年一月『青空』創刊号に『檸檬』は発表されているんですね。 うーーん、何というか、比べるものが悪いのかとも思いますが、こうして比べてしまうと、『檸檬』の現代性には恐るべきものがありますね。 いや、当たり前か。 というわけで、乱歩は不思議な作家です。 作品のできの善し悪しの差が、激しすぎる作家です。 そして、なんだかひそひそ聞こえるような、とても気になる作家です。以上。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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