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2009.10.31
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  『一月物語』平野啓一郎(岩波文庫)

 『日蝕』という作品で芥川賞を受賞した作家ですね。
 つい最近と思っていたら、もうすぐ10年になるんですね。

 『日蝕』が芥川賞を取った時のことを少し覚えていますが、三島由紀夫の再来と騒がれていたように思います。

 去年でしたか、まずその『日蝕』を読みました。この筆者の作品としては初めて読むものでした。
 わずか一冊読んだだけですから、何にも充分なことは分からないのですが、分からないなりに感じたのは、失礼ながら「三島由紀夫の再来は、ちょっと三島由紀夫に気の毒じゃないかしら」というものでした。

 うーん、私は何か読み違えているんでしょうかねー。

 三島由紀夫に比べたら、少々小振りの「張り子の虎」と思えてしまうんですけれどねー。
 少し前にマイブームだった、エンタテインメント系の「ファンタジーノベル大賞」の小説群(佐藤亜紀とか宇月原晴明の歴史ファンタジーなど)の方がいいようにも思えるかなー。(ちょっと言い過ぎかなー。)

 で、この度、冒頭の小説を読みました。
 『日蝕』の次に書かれた小説だそうで、なるほど「姉妹編」という感じの小説ですね。

 でもこの小説についても、なんといいますか、「本物の小説のうねり」の様な物はあまり感じられませんでした。
 泉鏡花のパロディ、なのかな。

 で、一読者として、私も色々考えたんですけれどね。
 一つ思った事は、「文体の発見」という事であります。この作品は、例えばこんな文体なんですね。
 明治三十年、主人公である二十四歳の青年詩人・真拆が奈良の山中を彷徨っている場面です。

 地に積もる幾年を経たとも知れぬ腐葉土が、甘酸の微妙に溶け合う湿った臭気と、虚しく逆らおうとする弾力とを伴って、踏み締める度に、死肉を下に敷くような、不快な錯覚を催させる。うねるような起伏に足を取られて、不如意な力が加えられる時には、殊に、朽ち遣らぬ条枝が、蹂躙される骨子のような音を真拆の蹠に響かせる。

 これはやはり、筆者にかなりの力がある文章であることは確かですよね。
 この文は『一月物語』からの引用ですが、デビュー作『日蝕』も同種の文体です。

 そもそもどんな文体でデビュー作を書くかは、案外に、さほど難しい話ではないのかも知れません。

 そんなに選択肢がないだろうこともありますが、迷ったところで、その時の筆者自身の「身の丈」以上のものは、結局選べないからであります。とすると、文体を選んだのか、文体に選ばれたのか、なかなか微妙なところがありますね。

 そして、この筆者はこの文体でデビューしました。
 ただ、この文体を選んだ(文体に選ばれた)ことについては、きっと思いの外に筆者の今後の方向性に強く絡んできます。
 特に、際だった特徴を持つ文体などでデビューしてしまうとそうです。

 (宇野浩二の小説を読んだ時に、私はそんな事を考えたんですが、あの小説家も極めて特徴的な文体でデビューし、そしてそのこと自体と「格闘」しましたね。)

 で、そんな作家の後の経過ですが、その文体では書けないものがある事に、作家は次に気づきますね、必ず。
 そこで、フォームの改造をします。そしてその時期は、いずれそう遠くありません。

 しかしその前に、もう一度だけ、デビュー時の文体の力を計っておきたい。
 それが、この作品ですね。

 例えば、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』の前の『海の向こうで戦争が始まる』。
 例えば、村上春樹の『羊をめぐる冒険』の前の『1973年のピンボール』。
 いずれも、そんな文脈の中ででも読む事のできる作品だったと思います。

 さて、この筆者は、確か最近、立て続けに話題作を発表なさっていたと思います。
 一つはインターネットをテーマにした作品で、もう一つは、私は寡聞にして内容すら知らないのですが、「ドゥマゴ文学賞」を受賞なさった作品がありましたね。

 存命中の純文学作家の面白いのは、「力作」から次の「力作」まで、たとえかなり長い雌伏期間を経ていても十分許されるところではないかと、私は思っています。

 現存純文学作家は死ぬまで「未完成」です。

 すべての現存純文学作家同様、いよいよ平野氏の文学の開花期の始まりなのか、それとも文体も含めてまだまだ迷走・雌伏期間なのか、全く予断を許さないのがとても面白いところですよね。


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Last updated  2009.10.31 06:49:17
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