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2009.12.24
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『風俗小説論』中村光夫(新潮文庫)

 えー、上記本の読書報告の第二回目、後半であります。

 実はこの本、私はむかーしに、一度読んでいるんですね。
 というより、私の「自然主義文学」に対する基本的理解はほぼこの作品から出ている事に、この度気が付きました。

 ただ、今読むとさすがに、若かった無知だった頃と違って(無知は今も一緒という気もしますが)、ちょっとあなた、言い過ぎなんではないかい、という感想も持ちました。

 とにかく筆者は、日本型自然主義小説こそが、現在(といっても昭和二〇年代中盤)の小説の「凋落・崩壊」の元凶と繰り返し説いて止みません。

 本ブログを書きだしてからかなり見方が変わりましたが、私の、田山花袋に対する全く故のない「偏見」なんかは、全くこの評論に負っていたんですね。
 若き日の読書は、考えれば罪作りな話ですねー。

 (また別の話ですがー、クラシック音楽についても、私はカラヤンの演奏について、故ない偏見を持っていたんですが、これも考えてみるとクラシック音楽鑑賞ビギナーの頃、「U氏」の音楽評論を結構読んだせいですね。ビギナーの選ぶような本って、この様に考えると、とっても大事ですねー。)

 えー、話題を戻しまして、中村光夫の日本自然主義文学に対する断罪ぶりを簡潔に(簡潔すぎてピントはずれになっているような気もしますが)まとめてみますね。こんな感じです。

 西洋の自然主義が、例えば「大工」という職業の人間の「生活=自然」を、作家が想像力を駆使してリアルに描く事で「社会性」を手に入れたのに対して、花袋らのまずかったのは、オレは作家なんだから、作家のオレをリアルに書けば「自然」じゃないかと、大声で言いふらした事にある、と。

 で、周りのみんなも、そういえばそうだよなー、第一その方が、あれこれ想像しなくていいしなー、と、簡単に乗ってしまった馬鹿さ加減にある、と。

 その結果、文壇の小説は、ことごとく小説家が主人公の、あるいはそれに準ずる「インテリゲンチャ」が主人公の小説ばかりになり、全く社会性を持たず、視野の狭い、身内だけのつまらない小説だらけになってしまった、と。

 だから、花袋は本当は、オレは小説家小説で行くけれど、みんなはオレの真似しちゃダメだぞー、と言うべきだったんですね。

 みんながみんな、小説家小説になっちゃあつまんねーからよー、お前達は別の職業について書けよなー、島崎、おまえは、農家でいけよ農家、おい徳田ー、お前は博打打ちの小説なんてどうだ、似合ってそうだぜ、で、めいめいがめいめいの人生についての小説書いて、そこで、勝負しようぜー、と言えばよかったんですよね。

 うーん、実にわかりやすいまとめになったと、思わず自画自賛しますが、なんか、いっぱい大事な事を落としているような気もするな。

 でもまー、大概は目をつぶって、ほぼこういう事だったとご理解いただきます。

 でも、たったこれだけの事が、いえ実際真面目な話、近代文学の黎明期には、おそらく難しかったんでしょうね。

 日本の文学が、「社会小説」にならず「風俗小説」でしかないという状況、それは、どこに問題があるかといえば、作者の視点が、外部(社会)に向かわず、内部(自己)にのみ籠もっているため、思想性も広がりもないものになってしまったということがひとつ。
 そして就中筆者が強調するのは、この伝統がすでに半世紀以上続いた事によって、日本語小説の表現そのものにおいて、社会性や思想性を盛り込む小説的言質が、いまだに準備されていない状態にあるということです。

 つまり、今から新たに書き出そうにも、小説の中に盛り込む社会性や思想性を表現する言葉が、まだないという事ですね。

 なるほど、これが筆者が主張する、自然主義文学の産んだ「いびつ」さの中心ですかねー。

 さて、この中村氏の評論は、昭和二十五年に書かれています。
 この「現代文学」を取り巻く状況は、今はどうなっているんでしょうか。

 現在は、そもそも文学にそんなものを求めなくなって久しいという、少し淋しい思いもありながら、それでも、中村氏の主張した「文学状況」はすでに過去のものなり、今は新たな発展を遂げようとしていると、ちょっと、希望と共に信じたいものでありますね。


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Last updated  2009.12.24 06:39:18
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