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analog純文

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2010.01.09
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  『群棲』黒井千次(講談社文芸文庫)

 筆者の「後書き」に、少し面白い話が書かれています。

 三十代後半の男性読者から、本書の刊行後、面白かったけれどどうにも気が滅入ってしかたがなかったという感想を貰った筆者は、言われる事は分かるつもりだが、しかし僕らは実際にあんな風にして暮らしているのではないのかな、という意見を述べたと書いてあります。

 なんか、少し変ですね、この読者と筆者の意見交換。
 噛み合っていそうで噛み合っていませんよね。

 これはきっと、読者から貰った意見に対して、実は返す言葉の無かった筆者が、知らない振りをしてわざとピントの少しはずれた答え方をしたんじゃないでしょうかね。
 実は、この微妙に噛み合わない変な感覚が、この「連作小説」の主たるテイストになっています。

 実際、この連作集の読後感は、「気が滅入る」が最も端的に表していると思います。
 で、そしてそれは、今度は筆者の言うとおり、そのまま私たちの日常生活(ただし、現代日本からはやや時代がずれる、つまり発表当時の昭和末期の、バブル景気に向かって駆け上っていた頃の日本人の日常生活)であるとも実感できます。

 都市郊外の新興住宅地。一本の極短い袋小路を真ん中に挟んで「向こう二軒片隣」の四軒の家の暮らしを、文庫本三十ページほどの話、十二話で、まとめた連作小説集です。

 この「向こう二軒片隣」の暮らしを、連作に描くという筆者の発想は、なかなか独創的だと思います。例えば二つの短編小説に別々の家庭の話を描いていきながら、登場人物が出会うところは、そのパラレルな短編自体が、それぞれの視点ですっと交差するわけですね。
 なかなか面白そうでしょ。

 しかし、実は極めて「気が滅入る」話なんです。でも同時に、我々自身を的確に描いた極めて「文学性の高い」話でもあるんです。

 この「気が滅入る」「文学性の高い」ものの正体は、「不安」ですね。
 「存在の不安」と行ってしまうほどには哲学的ではありませんが、「生活の不満」と矮小化してしまうと言い切れないものがいくつか残ってしまう、といった類の「不安」です。

 どんどん水かさは増えつつも、決壊の危険を孕んだ状態で留まっている嵐の中の河川のように、たとえ大洪水になったとしても、凶暴さあるいは狂気の中に呑み込まれてしまう方が、いっそすっきりするんじゃないかと思ってしまうような状態で、作品は静かに進行していきます。

 この日常生活の故知らぬ不安、あるいは日常的人間関係(典型的なのが夫婦関係)の皮膚感覚のような不安が、近代日本文学に正面から描かれ始めるのは、さて、「第三の新人」あたりからでしょうか。
 経済基盤と都市生活のそれなりの成立があって、とりあえず大きな社会不安はない時代、ってことになるとその辺からかなと思います。

 「第三の新人」の頃は、それでも各作家が独自の分野の問題意識を描いていたように思うんですが、日常生活にひっそりと忍び寄る得体の知れない不安が、さらに「内向の世代」へ受け継がれていき、特にこの『群棲』は、完璧にそれだけに絞り込まれています。
 (僕は読んでいませんが、筆者の小説には一方で社会性の強い作品もあると聞きます。)

 ただ、十二話中の終盤の三編ほどは、少し、趣が変わります。
 「手紙が来た家」「芝の庭」「壁下の夕暮れ」などの作品がそうですが、ここに描かれているのは、もうすでに「気が滅入る」状態が越えられようとしている世界です。

 洪水後の世界、それは精神的な病状であったり(例えば老人性の「認知症」)、すでに人間関係として成立していない夫婦関係であったりします。

 不思議なもので、ここまで突き抜けられてしまうと、我々読者は、どこか変にスッキリとした感覚を受けつつも、文学性は急激に失われてしまうような気がします。

 しかし最終話「訪問者」では、再び気味の悪い思わせぶりな「生殺し」の不安が戻ってきます。そしてそのことに読者(少なくとも僕)は、また変に「安心」したりもします。

 うーん、かなり、「ヘン」。なんか、不思議なものですね。


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Last updated  2010.01.09 08:53:25
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