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2010.01.14
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カテゴリ:昭和~・評論家

  『遺書』吉本隆明(角川春樹事務所)

 最初に「閑話」から。(といっても、そもそも本ブログそのものが「閑話」みたいなものの上に、今回はそれに輪を掛けたような、全文「閑話」なんですがー。)

 本ブログに文芸評論をもっと取り上げようかなー、とふと考えまして、なんだかぼそぼそと幾つか報告致しました。

 それなりに文芸評論も幾つか読んでいるものですから(この際「質」はあえて問わないとして、でありますが)、おおっ、一気にフィールドが広くなって、すっかり風通しが良くなったじゃないか、と思いました。

 で、なんとなくこんな本を読んで、何となく取り上げようと思ったのですが、キーを打ち出すぎりぎりになってハタと思いました。

 しかし、これは、ありか、と。

 仮にも吉本隆明と言えば、一時期は日本を代表するような文芸評論家でありましたし、今でも、その「余韻」は充分残っているように思います。
 僕も何冊か読みました。とても印象に残っている本もあります。
 (えーっと、どんな本でしたっけねー。『高村光太郎』とか、『西行』とか、ですかね。あと、読んだけれど、さっぱり分からなかったというのも少なからずあります。)

 そんな優れた文学者ではありますが、でもこの本は、功成り名を遂げた「ご隠居さんの世間話」みたいなものじゃないのか、と。

 例えば遠藤周作は、日本のキリスト教作家として、極めて優れた小説を数多く残しています。本ブログでも、かつて『深い河』を取り上げましたが、まだまだ報告したい名作、問題作がたくさんあります。

 しかしー、そんな遠藤周作ではありますが、彼の「狐狸庵シリーズ」の軽いユーモア・エッセイを取り上げるというのは、本ブログの趣旨外ではないのか、と。
 (いわゆる「軽い」文章を蔑ろにしているのではありません。要するに「店の品揃え」についての「店主=僕の好み」であります。)

 というわけで、うーん、気にはなりつつも、でも、ごそごそと、打ち始めました。……。

 「死ねば死にきり、自然は水際立っている」

 うーん、詩人の言葉というのは、たったこれだけでも凄いですねー。
 まさに「水際立って」いますよねー。

 高村光太郎の詩の一節だそうです。この本の中に取り上げられていました。
 タイトルが『遺書』ですから、こんな感じの文芸テイスト・エピソードが、連なっているわけですね。

 始めの方にこんな事も書いてあって、これ、とっても面白かったです。
 「臨死体験」についてなんですが。
 臨死体験には、宗教や死の習俗の違いにかかわらず万国共通のところが一カ所あります。それは、自分が病気で死にそうになった時に、回りで医者や看護師や近親が騒いでいるのを、眼が自分の身体から離脱して、中空から見下ろしているという体験です。
 こういうの、訊いたことありますよね。これ、なぜだと思います。

 吉本隆明が養老孟司に訊いたそうです。養老の解釈を読んで、僕も、なーるほどと思いました。科学者というのは、偉いものですね。
 (どんな説明をしたと思いますか。答は、最後に!)

 上記に、吉本隆明の本を何冊か読んだと書きましたが、さらによく考えてみれば、僕はやはりそんなには読んでないんじゃなかろうか、と。
 吉本隆明はどうも難しそうだと云うことで、易しそうな本を数冊読んだだけですね。

 でも、もっと考えてみると、同時代人の埴谷雄高はもっと読んでいません。
 (今考えたら、この人の本はまとまったものとしては、おそらく僕は一冊も読んでいないということがわかりました。)

 で、それで、なぜ埴谷はゼロで、吉本はそれでも数冊読んでいるのかと考えると、僕の考えのどこかに、吉本は埴谷に比べると、少しはより難しくなく、そのぶん取っつきやすいのではないかという思いがあったせいですね。

 さて今回取り上げた本は、内容的には口実筆記の易しいエッセイではありました。(全然文芸評論じゃないじゃないか!)
 しかし、読んでみて、上記の僕の様々な思いはやはり正しかったなと思う一方、この人、ひょっとしたら、もひとつなんと違うやろか(失礼!)、あるいはボケだしてるんと違うやろか(あー、書いてしまった!)、とも思ってしまったのでありました。

 本書は、幾つかの章に分かれていて、「死」とか「国家」とか「文学」とか「教育」とかについて語りおろしているのですが、後半の「わが回想」という半生を振り返ったところが圧倒的に面白いです。

 近現代日本の社会史が、作者自身の行動と思想の変遷・実践などとともに振り返られています。(例えばここに、上記の埴谷雄高との論争について触れてあります。)で、ここがもっともおもしろいんですけれど、でも少しじっくり考えながら読んでいると、当たり前ながら、やはり僕の感覚とは完全には重ならないんですね、これが。

 こんな時、若くて未熟だった頃の僕は、自分自身について反省することが多かった(ああ、やっぱり僕はあほやねんなぁ、書いてあることがよーわからんなどと。)のですが、最近は年喰って、やたら厚かましくなったせいか、筆者を攻撃することが多くなりました。

 「こいつがおかしい!」
 「こんなこと考えてるこいつが堕落しとんや!」と。
 これはこれで、困ったもののような、これでいいような、でありますなー。

 でも、本当のところ、この本は、簡明でわかりやすく、とても面白かったです。(吉本隆明の晩年の語りおろしには、実際こういった「長屋のご隠居」的エッセイが多いようですね。)

 さて最後に、上記の臨死体験についてです。養老孟司はこんな解釈をしています。

 その正体は耳である。
 最終的にあらゆる意識が拡散して瀕死になっても、耳だけは聞こえるということがある。さらに、耳が聞こえると、実際には目が見えていなくても感覚的には見えていると考えられることがあり、これがこの体験の根本になっているのではないか。

 どうです、科学者、科学的思考って、やはりすごいですね。
 (えっ? そんな答ならとっくに分かってたって?)


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Last updated  2010.01.14 06:39:33
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